じゃんけんでグーが勝つ確率は3分の1か2分の1か?
こんにちは。
仙台支部の上原です。
本日は一見不登校とは関係なさそうなタイトルになりましたがちょっと関係があるお話です。
物事の捉え方についての例
さっそく本題に入ります。
タイトルにしました「じゃんけんでグーが勝つ確率は3分の1か2分の1か?」
これは実際にカウンセリングの中で出た話になります。
考え方には2つのパターンがありました。
1,ぐーちょきぱーの3つから選ぶのだから3分の1
2,じゃんけんは勝つか負けるかしかないのだから2分の1
皆さんだったらどちらがより適切だと感じるでしょうか。
数学の確率の話ではなく、認知や考え方のお話としてお考え下さい。
私もよく話題に出す認知の歪みの中に白黒思考というものがあります。
物事を白か黒か、0か100かみたいに捉えてしまう考え方ですね。
不登校で言えば「遅刻するくらいなら学校に行かない」とかが代表的に例でしょうか。
もうお察しの方も多いでしょうが、2分の1はそれに近い考え方になります。
ちなみにさっきのじゃんけんには「あいこ」があるじゃないかというツッコミも入りそうですが、これを選んだ子からすると「あいこは結局まだじゃんけんをして結果が出るまで続けるのだからないのと同じ」だそうです。
ではなぜわざわざ縁遠いじゃんけんなんて物でその話を出したのか。
これは自分の特性を受け入れる際に有効な場合があるからなんです。
自分を受け入れるのは難しい
特性、性格など自分の内面についての事柄は向け入れるのが難しい時があります。
それは良い面でも悪い面でもそうです。
ある子は自分はバカだと感じており、周りからいくら「そんなことはないよ」「実際これも出来ているじゃないか」「テストでも平均点より上だよね?」とアプローチされても頑なに受け入れなかったりします。
これは大人でも同様のことが良く起こります。
自分の事を直接指摘されたり、向き合ったりすると受け入れたくない無意識の防衛本能のようなものが働いたりするんです。
そこを受け入れてもらうには「自分で気付いたかのように」すると効果的だったりします。
さっきの問題もあえて今自分が向き合うことに直接関係のない話です。
でも突き詰めていくと根っこの部分でかなり近い話になります。
人間自分と縁遠いいわば「他人事」だと案外冷静に考えたり思えたりするものです。
その上で「自分が出した答え」はどうだったのか。
それを自分に当てはめたら変わってしまうことがあるのは何故か。
など内面に焦点を当てるきっかけに使ったり出来るんですね。
分かっていることでも考えるのは苦しい。考えたくない。
そんな時も多々あります。
でも全く考えないままでいても変化しない。
そんな時、あえて遠い所から話してみるのも手法の一つになります。
今日はそんなお話の紹介でした。
それではまた次回。
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