「休んでもいいよ」という言葉の危険性について~『誰が決めた』休みなのか~
こんにちは。
不登校支援センター東京支部の椎名愛理です。
皆さん、
「朝お子さんがの体調が良くなさそうだ」
「顔が青白い」
「腹痛でトイレにこもって出て来ない」、、、
そんな時、つい
「だったら学校に行かなくてもいいよ。今日は休もう。」
と声をかけたくなる時がありませんか?
きっと今、ブログを読まれている親御さんの中には
『今朝そんな言葉をかけたな…』という方もいらっしゃることかと思います。
本日はこの「休んでもいいよ」「今日は休もうよ」という言葉の危険性についてお話したいと思います。
朝になるとお腹が痛くなっていたAさんのお話
Aさんは小学校5年生の女の子です。
以前は毎朝元気に朝ごはんをもりもりと食べ、自分で素早く支度をして「行ってきます!」と勢いよく家を出ていくような女の子でした。
しかし、4月に新しいクラスになってから学校から帰宅するとクラスの愚痴を言うようになりました。
「うちのクラスは授業中うるさい」
「後ろの席の子が、椅子を蹴ってくる」
「給食がおいしくない」
最初の頃は、学校に対しての不満をお家で口にして、翌日は学校に行っていったそうです。しかし、徐々に朝になるとお腹が痛いと腹痛を訴えるようになりました。
親御さんとしても、以前は毎朝元気に登校していたわが子が、毎朝のように腹痛を訴える様子を見ていることは苦しく、つい「子供のために」と『じゃあ今日は休もうか』と声をかけたそうです。
「だってお母さんとお父さんが休んでいいって言ったじゃん!」
その日を境に、Aさんは全く学校に行かなくなったそうです。最初は腹痛があり、休むという状態でしたが、段々と朝の腹痛はなくなったものの寝室から出てこない。いつまでたっても起きてこない。。。
最初は体調不良があったため、休むことも仕方ないと思われていた親御さんでしたが、お昼過ぎまで寝ているAさんを見て「なんで学校にいかないの?今日はお腹痛くないんだよね??」と問いかけたそうです。
そこで返ってきた答えが「だってお母さんとお父さんが休んでいいって言ったじゃん」
「良かれと思って言った一言を休む理由に使われてしまって…」
初めて親御さんとお会いした際、お父様がこのようにおっしゃっていました。最初はAさんの体調を心配するあまり、無理をしてほしくなく「休もう」と口にした言葉。
その言葉がいつの間にかAさんの中で「休んでいいとお父さんお母さんが許してくれた」に変わっていき、ある意味では休んでいることを正当化する材料になってしまっていたのです。
この状況に気付いた親御さんは、Aさんに言われた一言でハッとし、同時に傷付いたとおっしゃっていました。
「自分たちがあの時、軽率に『休んでいい』『今日は休もう』と声をかけなければ、こんなことにならなかったのかと…」
ここまでお読みいただいた皆様も、同じような経験があるかもしれません。
- 良かれと思って口にした一言が、空回りしてしまうこと。
- 何かしらの行動を正当化する材料になってしまうこと。
実は珍しい事ではありません。
Aさんの目線で状況を振り返った際、
- お腹が痛いのは事実。でも自分でも学校に行かなくてはいけないのはわかっている。
- 学校に行ったら、色々な葛藤を経験し少なからずストレスがかかる。
- 出来れば家にいたい。
- そんな時『休んでもいいよ』と声をかけられた(かけてもらえた)
となれば、逆に休まない選択をする方が難しいかもしれません。
ここで考えたいのは、『誰が決めた休みなのか』という点です。
自分で決めた行動や選択には責任が伴う
仮にAさんが親御さんの言葉なしに、学校にいかないという選択をしたとしましょう。すると、この「学校を休む」という選択の責任は、厳しいようですがAさんが取らなくてはなりません。
しかし、この決断を「お父さんお母さんがしたから」と思うことができると、学校を休んだ責任についても「お父さんお母さんに負ってもらいたくなる」ものです。自分の行動の責任を、人に任せたくなってしまうリスクというものが、潜んでいるのですね。
お子さんに言葉がけをする際に、その行動は誰の責任になるのか(誰がメインで行う行動なのか)、結果的に責任はだれが持つことになりそうか、と言った目線で考えていただくと、こうしたリスクも回避できるかもしれません。
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