『子ども達のコミュニケーション』と『主観』の関係性とは?
こんにちは。
東京支部の椎名愛理です。
本日は『子どもたちのコミュニケーション』と『主観』の関係性について、お話しようと思います。皆さんコミュニケーションと聴くと、どのような行動を思い浮かべますか?
- 人と話す
- 一緒に遊ぶ
- メールをする
等、最初に出てくる「これがコミュニケーション」というイメージは、皆さんが実際に体験している、または体験したことがある行動や方法であることが多いかと思います。
時代が変わればコミュニケーションの取り方も変わる?
私自身「どのようにコミュニケーションをとりますか?」と聴かれたら、会って話をする、電話をする、メールをする、SNSでやり取りをする、等自分が行っている方法を「これがコミュニケーションだ」という自分の枠組みで考えます。この「自分の枠組み」が実は厄介なものであることをご存じでしょうか?
カウンセリングで、子ども達と話していると、私が経験したことのない方法のコミュニケーションが沢山あることを知ります。
例えば
- ゲームの中で、キャラクターを使ってプレゼントを贈りあう
- 音声配信アプリを使って自分のラジオを配信し、リスナーと友達になる
- イラストを描いて送りあう
等です。
この背景には、今の時代だからこそ行うことができる「子ども達なりの人との交流」があると感じます。中には「直接会うと緊張して会話ができないけれど、ゲームをしながらチャットをする方法であれば会話ができる」と、自分なりのコミュケーション方法を見つけて、お友達や周囲の人と関わりを持ち始める子どももいます。
私たちが持ってしまう「自分の枠踏み=主観」の危険性とは?
それでは、先ほどお話した「自分の枠組み」を持つことの厄介な点とはなんでしょうか? ちなみに、心理学的にはこの自分の枠組みを「主観」と言います。人々は物事と対峙するとき、様々な出来事を経験した際、人と会話をしている中などの場面で、この「主観」を通して様々な出来事を感じ、認識し、時に判断します。
例えば
「コミュニケーションとは、顔と顔を突き合わせて行うものだ」という主観を持っている方が、ゲームをしている子どもを見た場合を考えてみましょう。
その方の主観を通すと、子どものゲームをしている姿は「ただ遊んでいるだけ」に見え、そこに人との交流があり、相手を思いやることや人を傷つけず自分が我慢しすぎることもなく適度な距離感でコミュニケーションをする練習をしているようには見えないかもしれません。
つまり、主観を通して物事を見すぎた場合、相手の立場や感じ方、どのような気持ちでその行動を取っているかなどの情報を見落としてしまう可能性があるのです。
一旦主観を横に置いてみる勇気
だからこそ、もしも皆さんが「うちの子って○○だな」などや、例えば「いつもゲームで『遊んでばかり』いる」「ずっとスマホで動画を見ていて『楽しい事しかしていな』」など、私の目からは『こう』見えるな、という点がありましたら、一旦『こう見える』を横に置いてみませんか?
いつもゲームをしていて、『私には遊んでばかりのように見える』けれど、どんな気持ちでゲームをしているんだろう?ずっとスマホで動画を見ていて、『私には楽しい事しかしていないように見える』けれど、本当に楽しいのかな?など、自分の主観に疑問符をつけてみることで、いちど枠組みを横にそっと置くことができます。主観を外して子どもを見てみると、意外な気づきや疑問も出てくるかもしれません。皆さんが気付いたお子さんの一面を、ぜひ私たちカウンセラーにも教えてくださいね。
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