人間はあんまり考えていない葦だった?不登校と適応力の関係。
こんにちは。仙台支部の上原です。
皆さんは行動するときにどんな基準で選択をしていますか?
何かを買うとき、子どもに声をかけるとき、何かを諦めるときetc
人生は選択と行動の繰り返しです。
今日はそこについて少し考えてみたいと思います。
人間はそもそもあまり考えていない。
これは意外に感じる人もいるかもしれません。
【人間とは考える葦である】というパスカルの有名な言葉にも表されるように、人間とは思考する生き物であるという認識は強いのではないででしょうか?
もちろん他の野生動物に比べた場合、それは正しいと言えるでしょう。
ただ自分の日常生活を振り返ってみるとどうでしょうか。
きちんと考えて行動していることって1日の中にどの程度ありますか?
- 会社に通勤している時
- 家でスマホをいじっているとき
- TVを見ているとき
- 食事中
- お風呂の中
- 寝ている時
日常の習慣的に行っていることが殆どではないでしょうか?
そして習慣的に行っていることに真剣に思考を傾けている人は稀有でしょう。
私自身、何も考えないで過ごした1日は沢山あると思っています。
理由はシンプルで【考えないほうが楽だから】です。
人間って思った以上に惰性で生きている所があるんですね。
常態化された行動の弊害
これは生きていく上で必要なことです。
例えば今日は右足から歩き出そうか、左足から歩き出そうか、なんて毎日考えて決めていたら疲れてしまいます。
自分が生活の上で省略できる部分はなるべく自動化させて、余計なことに脳のリソースを使わないようにする。
やることが膨大にある人間が身に着けた処世術の1つであるとも言えるでしょう。
毎日継続的にやることほど、こういった思考の省略を行うようになります。
生き物の生態的な機能ってすごいですね。
負担が減るように自分を適応させていくんです。
でもそれによって起こる弊害も存在します。
日常的に行うことが悪習慣だった場合などがそれに当たります。
例えばAさんは毎日晩酌をするのが日常化していました。
別にお酒を飲みたいな、と思わない日もあったはずなのに、飲むことが常態化していたこともあり、毎日欠かさずそれが続きました。
ある年、健康診断で悪い結果が出て、それは飲酒の影響が大きいことが分かりました。
Aさんは別に飲まなきゃやっていられないわけでもなかったのに、なんで毎日飲んでしまっていたんだろうと後悔します。
ついでにこれまで毎日晩酌にかかっていた費用を計算してみてより後悔しました。
缶ビール2本でおよそ400円とおつまみに500円程度。
約1000円を毎日使っていたので、1ヶ月で3万円、年間36万円も使っていたのです。
これは別にお酒を飲むのが悪いわけでもなく、飲みたいのを無理に我慢する必要もないことでした。
【飲みたいときは我慢せず飲み、飲みたいわけではないときは飲まない】というごく普通のことを意識して行う。
Aさんにとってはそれだけで半分くらいの金額に収められていた内容でした。
それが【毎日飲む】を習慣化して、そこに疑問を持たずに続けてしまった結果です。
毎日の買い物、飲食、スマホを見ている時間。
ちょっと怖い話かもしれませんが、結構やってしまいますよね。
改めて意識してみると、これ無駄だった、と思うことは沢山あるかもしれません。
不登校の子にも当てはまるところがあります。
不登校になってしまった子どもにもこれが当てはまることがあります。
学校を休みだした頃、本人も悩んだり、具合が悪くなったり、苦しんでいる様子が見えていた。
でもそれが暫く続くと、朝は調子が悪そうにしているものの、午後からは普通だし、休日なんか完全にいつも通り。
『え、なんでこれで学校にいけないの??』と見ているほうが不思議な気持ちになる、なんてよく聞く話です。
もちろんこれは要素の1つであり、全てではないことは気を付けたいところです。
ですがこの常態化されてしまったせいで思考しなくなる、というのは大なり小なり誰もがしています。
なぜならば苦しいことに目を向けるとダメージを負うからです。
先ほど『人間が負担が減るように適応させる能力がある』と書きましたが、それが発揮されている状態ですね。
考えずに生活する状態に行動や思考を適応させることで、心を守っているわけです。
実に素晴らしい防衛機能ではあるのですが、前述の通り弊害もあります。
考えずに済むことならばそれでいいのですが、先送りにして目を向けずにいても解決しない問題もあります。
時間が解決してくれるようなものならその対応で良いのですが、不登校の場合は違いますよね。
改善するには考え、選択し、決断し、行動することが求められます。
でもこれは言いかえれば『傷つくのは分かっているけど、放置するともっと酷いことになるからいま傷つけ』と言っていることになります。
言われたほうは、中々にツラい気持ちになるでしょう。
この辺りをどう伝えるのか、受け入れられる状態をどう作るのか、それが肝になってきます。
実際に支援をしていると余計に見えてくる部分でもありますが、皆さんが悩まれる大きなポイントの1つでもありますね。
私たちも様々な工夫を凝らして、子どもたち自身が自分の問題に目を向けられるように日々アプローチをしています。
ご家庭でも出来ることは沢山あります。
どんな風にアプローチをしたらいいのか、気になった時はご相談ください。
ご家庭の状況を考慮した上で、一緒に最善の方法や現実的に実践出来そうなことを考えていきたいと思います。
それではまた。