不登校は悪くない!に隠された落とし穴。
こんにちは。
仙台支部の上原です。
不登校というものの認知は昔に比べると多少広まってきたように感じます。
もちろんまだまだ理解の及ばない、不足している部分は多々あると思いますが、進んではいるでしょう。
同時にそれによって出てきた誤解や無理解などもあると思います。
今日はそこについて触れてみたいと思います。
不登校は悪いことじゃない!
皆さんも1度は目にされたことがあるのではないでしょうか?
今や色々なところで触れる機会があると思います。
『不登校は悪いことじゃない』
それは私たちも同じ意見です。
過去に不登校を経験した方が振り返ってそう思われることも多いと思います。
・自分の過去と向き合い見つめ直す時間を持つため
・苦しい環境から逃れ、自分を回復させるため
・自分の未来や進路について落ち着いて考えるため
・やりたいことに全力で挑戦するため
色々な目的があってそれを選ぶこと自体は悪いことではないでしょう。
しかしその不登校は悪くないという言葉の表面だけを見てしまう子ども達もいます。
不登校は悪くないんだと自己弁護を重ね、自分のことを正当化して過ぎてしまうと、あまり良い影響はありません。
せっかく時間が出来て、心も身体も健康な状態で、先のことをまったく考えずに休み続けるのは意味が違ってきますよね。
これは私たちにもよく起こることでもあります。
例えばニュースで〇〇さんが窃盗事件を起こしました。というものを見たとします。
それに対しSNSなどで過剰に攻撃したり、面白半分に冷やかしたり、様々な反応が見られます。
これもニュースの表面だけを見ての反応ですね。
その〇〇さんが行為に至るまでの経緯や目的、それが抜け落ちています。
愉快犯かもしれませんし、誰かに脅迫されてやったことかもしれません。
そういったものを無視して表面の見出しだけ判断するのがおかしいことだとは誰もが分かるはずです。
不登校は悪くない、も同じですね。
それをしている子どもたちにどんな経緯や目的があってその行為をしているのか。
そこが大切になってきます。
人間は自分すら騙してしまう生き物
私たちは自分の心を守るために様々な機能を発揮します。
・心を休ませるために身体に痛みを感じさせる。
・事実と違うことを本当だと思い込む。
・嘘をついてごまかす。
・良いことをして罪悪感を減らす。
自分を守るための機能ですから悪いわけではありません。
ですがそれが過剰に出てしまうと話は違ってきます。
過剰に免疫が働いて身体を守ろうとしすぎたせいで花粉症になってしまう。
こういった自己矛盾のようなことが心にも起こりえます。
表面的な部分に騙されず、自分に必要なことは何なのか。
子どもたち自身が向き合えるように支援していきたいですね。
どんな風に接したらいいか悩まれた時はご相談ください。
それではまた。