大型連休明けに学校を休みがちになった際の対応① ~認知論から対応を考える~
こんにちは。
不登校支援センター東京支部の本沢裕太です。
新学期が始まり、しばらくすると大型連休がやってきますが、大型連休明けにご相談に来られる方が多いので、その理由についてお伝えしたいと思います。
なぜ「ゴールデンウィーク」と呼ばれるようになったのか?
今回あえて「ゴールデンウィーク」と呼ばずに、「大型連休」と呼ばせて頂いたのには訳がございます。
ご存知の方からしたら「今さら何言ってんだ!」と怒られてしまうかも知れませんが、この連休中に「ゴールデンウィークと呼ばれる様になった由来」を初めて知ったので紹介させて頂きたいと思います。
ゴールデンウィークと呼ばれる様になった由来は?〜大型連休に映画館に呼び込む為に作られた造語〜
当時、お盆の時期やお正月よりも5月のこの時期の映画の興行収入が多かったようです。
そのことから、もっと映画館で映画を観る人を増やす為に、宣伝の意味で「ゴールデンウィーク」と呼ぶ様になったとか。(テレビの視聴率やラジオの聴取率が高い「ゴールデンタイム」にちなんで)
なので、新聞やNHKでは「ゴールデンウィーク」とは表現しないそうです。
現在の「ゴールデンウィーク(以下、GW)」は、皆さん思い思いに過ごされているお話を面談の中でも聞かせてもらってます。
BBQをしたり、帰省したり、旅行に行かれたり・・・といった話の中に、「映画を観に行った」という話も聞きます。
映画業界の目論見は未だ顕在の様ですね!笑
私からしたら、それまでは
- 友達とBBQしよう
- 友達(家族)と旅行に行こう
- 最近会ってない人に会おう
- やった事のない体験をしよう
など、どちらかというと娯楽を中心に過ごしていたので、連休明けはなんか疲れている・・・なんて事もよくございましたし、今思えば「連休ってそういうもんだ!」「非日常的な事をして過ごすんだ!」という思い込みがあったんだなあと感じます。
「映画館が由来」なんて話を聞くと、「じゃあ、せっかくだから映画でも観ようかな♪」なんてミーハーな考えを持ってしまったり。
こんな風に、人の認知は、驚くほどあっさりと変わったりします。笑
GW(ゴールデンウィーク)の捉え方
長い導入になってしまいましたが・・・
物事の捉え方には必ずその人の主観や経験から来る価値観が影響します。
幼少期から「GWには家族で旅行に行っていた。」という経験をお持ちの方は、「GWには旅行に行きたいなぁ」という価値観をお持ちかも知れません。
「GWにはよく映画を観に行った」という経験をお持ちの方は、「GWには映画を観たいなぁ」という価値観をお持ちかも知れません。
「どこ行っても混雑していて疲れた」という経験をされた方は、翌年からは混雑しそうな所へは出向かなくなるかも知れませんし、家で楽しく過ごせる方法を考えるかも知れません。
「やりたくはないけど、やるべき事」で過ごした方は、「GWなんか無くても良いのに・・・」なんて思ったりもするかも知れません。
どれもが、その人にとっては大切なご経験なので、「正しい」「正しくない」という尺度で考えるものではありません。
この様な「物の捉え方」について、心理学者のアドラーは次の様に言っております。
「われわれは、われわれの与えた意味づけを通してのみ現実を体験するのであって、現実そのものではなく、何らかの形で解釈された現実を体験するのである」
これは「認知論」と呼ばれる考え方です。
それぞれが、それぞれの解釈したい様に物事を捉えているのに、違う解釈を押し付けられたり、「こうするべきだ!」という圧力の様なものを感じて、自分の解釈を無理に抑制しようとすると、どうなるのか・・・。
心の摩擦が大きくなり、非建設的なストレス対処を行う傾向が多くなるのです。
私も以前、マラソンが好きな上司に、マラソン大会に誘われて参加した事がございました。
長距離走は嫌いだったので、ゴールするまで本当に・・・本当にしんどかったのです!!
とはいえ、誘われた時点で「長距離走は苦手でして・・・」とは、なかなか断れなかったですが、後々「断っておけば良かった」と、どれほど後悔した事か。
「自分は、つくづくNOと言えない日本人だなあ・・・」と実感しました。
話を戻しますと・・・
学校などで、
- 私は○○に行ったよ
- 私は○○やったよ
- 私はこんな事があったよ
なんて話を聞いたりすると、
- 自分もそうしないとおかしいと思われるのではないか?
- 何で自分は、○○しなかったのだろう。
- 私も○○したかったのに、出来なかった。
という様に、自分の連休の過ごし方(認知)がずれているのではないか、おかしいのではないかと、まるで悪い事でもしていたかの様に感じる子どももいらっしゃいます。
実際、今回の連休明けに、登校出来なかった子どもたちの話を多く聞いたのですが、その中で、いくつかの共通点がある事に気付きます。
- 学校は行くべきだし、真面目に勉強をするところ
- 1時間目から6時間目まで授業を受けるべき
- 部活に参加するべき(習い事には行くべき)
- 宿題は期限内にやり、提出するべき
- 先生や周りの大人から言われた事は、素直に聞くべき
- 周りから変に思われない様に、振る舞うべき
- 友達やクラスメイトとは仲良くするべき
- 嫌な事があってもガマンするべき
- 「学校に行きたくない」と言ったら叱られる
この様に捉えている事が多かったのです。
自分の認識や解釈の中に、無意識に「圧力」を創り出してしまっている様にも思えます。
なぜ、その様に考えてしまうのか?
大人だったら、上記の「こうあるべき」といった内容は建前としては持っていても、必ずしもそうしなければならない訳では無い事を、経験から学んでいる方もいらっしゃると思います。
ですが、そういった経験が少なかったり、無意識で「圧力」を創り出してしまうお子さんですと、自分の考えや感情を抑圧し、周りに同調しようとして、ストレスを蓄積させてしまいます。
その子が学校という環境で自分の居場所を確保する為には、そういった行動が必要だという「認知」をしていると考えられます。
そうして限界まで来た時に、最後の手段として「学校に行かない」という方法で自分の身を守ろうとするのです。
そういった状態になってしまうと、親御さんから
- 1時間目から全部授業でなくても良いじゃない
- 辛くなったら保健室に行けば良いんだよ
- 今回は、宿題提出しなくても良いよ
- 他の子にどう思われても良いじゃない
といった言葉を伝えても、「そうじゃない」と反発されたりします。
それは、ただ反抗している訳ではなく、それを受け入れてしまったら、
- 自分は拒絶されるのではないか
- 迷惑だと思われるのではないか
- 見捨てられてしまうのではないか
という不安に対して、反発しているのです。
ですので、親や先生、カウンセラーなど周囲の大人から、
- 学校に行かなくても、拒絶されないんだ
- いつも通りに接してもらえるんだ
- 親や他の誰かに迷惑をかけている訳ではないんだ
- 上手く出来ないことがあっても、自分という存在自体を受け入れて認めてくれるんだ
と関わって頂くことで安心させてあげてほしいのです。
安心感を持てたお子さんは、自分の身を過剰に守る必要がなくなり、「こうあるべき」という考え方ではなく、自らの意志で「自分が出来る事を、自分のペースで」行動に起こそうとします。
大切なのは、その子自身が体験すること
私たちが今まで経験した事や認知は、私たちの人生ではとても役に立っていると思います。
ですが、他の誰かの人生の役に立つ保証はありません。
お子さんが、これからの人生を楽しく、前向きに、自分の為に生きて行く為には、その方法はお子さん自身が見つけるほかないのです。
その為には、お子さん自身が行動を起こし、経験を積み、そこから学んでいく事が望ましいのですが、その一歩を踏み出す勇気を持てていないお子さんも多くいらっしゃいます。
「4月」という節目のタイミングで、葛藤しているお子さんの様子を拝見しましたし、お話もたくさん聞かせて頂きました。
- 子どもが自分の身を守る事に一生懸命にならなくてもいい関係作りをする
- その環境作りをする為に、どういった距離感でどの様に関わったら良いか
- 第三者は、どのタイミングで介入したら良さそうか
など、子どもが一歩踏み出せる環境作りを一緒に検証していく為に、カウンセリングを上手に利用してくださいね。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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