生きるのが楽になる鈍さと不登校の関係性とは?
こんにちは。不登校支援センター仙台支部の上原です。
新学期も始まり暫く経ちましたが、皆様のご様子は如何でしょうか?幸い、私のところに来ている方は概ね順調のようでほっとしております。
さて本日は・・・
生きるのが少し楽になる鈍さについてお話したいと思います。
鈍さとは?
少し前に「鈍感力」という言葉が流行ったのを覚えているかたは多いかと思います。
鈍感力とは何かと調べると・・・
「立ち直りが早い、色々なことを言われてもあまり気にせず、すぐに忘れることができるといった点から、どんな時もくよくよせず、へこたれずに、物事を前向きに捉えていく力」
なんて風に、仰られている方もおりました。
不登校の子ども達の中にはこれとは反対に、非常に色々なことを気にしてしまう子が多いです。
気にするポイントは人それぞれですが、
- 髪型
- 服装
- 体臭
- 視線
- 声
- 動き
- 音
- 雰囲気 などなど・・・
ここに書ききれないくらいあります。
「そんなこと気にしなくてもいいのに」と思われるようなことを気にする子も多いですね。
当然ですが、気にしなくてもいいことを気にかけていれば消耗してしまいます。
HSP(ハイセンシティブパーソン)なんて言葉も最近では耳にするようになりましたが、そこまで特徴的でなくとも傾向としてそういった部分がある子は結構います。
これを本人に対応してもらっていくには、まず本人に自覚を持ってもらうことが有効なときがあります。
- 自分が気にしていることは本当はそこまで気にすることではない。
- 自分はいま気にしなくてもいいことを気にしてしまっている。
その辺りの自覚があれば「じゃあどうしようか?」と次に繋げやすいですね。
自覚がないと「自分はおかしいのか?なんで皆気にならないんだ・・・」とモヤモヤしてしまい対応できない場合があります。
なのでまずは本人に自分の特徴を理解してもらうんですね。
理解を促すには?
「あなたは他の人と違って気にしすぎなんだよ」
こんなことを人から言われたらどう感じるでしょうか。素直に「そうだったんだー」と受け取れる人は少ないように感じます。
当然ですが伝え方には気をつけたいですね。また、伝える相手との関係性というのも非常に大切になってきます。これは受け手によって違うのですが、誰からの言葉のほうが受け入れやすいのか、という部分です。
例えば、癌の宣告を受けるとしましょう。
あなたにとってそれはお医者さんから聞いたほうが受け入れやすいでしょうか、それとも家族から?親しい友人から?
- 専門分野なのだから医者から聞きたいと思われる方。
- 家族からの言葉のほうが受け入れやすいと感じられる方。
それは人によって違うかと思います。
本人にとって「誰から」「どのように」伝えられたほうがいいのか、それは慎重に考えたいですね。
以前こんな話がありました。
中学生のA君はクラスのざわざわした雰囲気がとても苦手で、どうしても耐えられずいつも気持ち悪くなってしまっていました。
他の同級生はまったく平然としているのになぜ自分だけこんな風になるのか分かりません。親に相談してみると「慣れれば気にならなくなる」と励ましてもらい、頑張っていましたが、一向に慣れる気配がありませんでした。
次第にクラスに行くのが辛くなり、保健室で過ごす時間が増えてきました。心配した親御さんが当センターへ相談に来られましたが、子どもの感覚が理解できず困っているご様子でした。
そこで私は、例話を用いて理解を促す方法を取ってみました。
上原「コンビニでお茶を買ったことありますよね?大体100円くらいでしょうか」
親御さん「それは、まあ」
上原「当然飲むために買うわけですよね」
親御さん「そうですね」
上原「でも例えばお茶を買おうとしたコンビニの前で、今にも飢えて死にそうな子どもがいたとしたら、その100円はその子どもに食べ物を買ってあげるのに使いませんか?」
親御さん「そりゃあ人として当然ですよね」
上原「では今その100円を募金したら、地球の裏側で子どもが一人、救えるかもしれませんよ」
実にいじわるな話ですよね。
でもそれが生きるのに必要な鈍さでもあります。
地球の裏側で子ども達が困窮していることを、情報として誰もが知っています。今まさに死に瀕している命があります。みんな100円の募金で一人救えるかもしれないことも知っています。
知っているのですが、それを感じない。実感がないんです。
だから、大して必要でもないものに100円を使えるし、地球の裏側のことだから、鈍感になれるんですね。※念のためですが、善悪や倫理の話ではありませんので、その部分は外してお考えください。
これは地球の裏側の話なので鈍さを発揮しやすいです。
でも生きているとそれほど遠くはないけど全く関係ないわけでもない、そんな関係性があります。
例えば話したこともないクラスメイト。顔だけは知っている近所の人。
その関わりがあるともないとも言い切れないような人のことに、どの程度気持ちで接するのか。
ここがポイントになってきます。
先ほど上であげたような、気になってしまうタイプの子は、
- 話したこともないクラスメイトが先生に怒られているのを見て、自分のことのように辛く感じてしまう。
- TVで犯罪や事件のニュースを見たときに、まったく知らない被害者やその家族に共感して深く落ち込んだり、激しく怒ったりする。
このようなこともあるかもしれません。
共感できる力や想像力を豊かに発揮できる才能とも言えますね。
それ自体は悪いことではなく、むしろ強みになる部分かもしれません。しかし自分がそれをコントロール出来ないでいると、その気になることに振り回されて苦しくなってしまいます。
そういった子どもには自分の捉え方を理解して、自分なりの対応策を身につけられるように促したいですね。
最後に…
今回のお話は一般的に言われる鈍感力とは少し違う視点での話しだったかもしれません。
ただ大人にとっても子どもにとってもある程度の鈍さは生きる上であったほうがいいでしょう。
鈍すぎても辛いし、鋭すぎても辛いというのは中々難しいですが、自分にとってのちょうどいいバランスのとれるところを見つけたいですね。
それではまた。
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