【要注意】不登校への対応の落とし穴?!「子どもを見守る」の危険性
こんにちは。不登校支援センター仙台支部の上原です。
不登校の対応について調べてみると「見守る」という単語をよく目にします。実際、親御さんや学校の先生とお話させて頂く際もこの「見守る」という言葉をよく耳にします。
私自身も「見守る」という言葉を使うことはありますし、間違っているというわけではないのですが、あまりにも氾濫しすぎているとそれはそれで危険かな、と思い本日は記事にしてみようと思います。
不登校の対応についてよく目にする「見守る」とは、そもそも何?
辞書で調べてみると、
- 見て、番をする。監視する。気をつけ大切にする。
- じっと見つめる。熟視する。
このように出てきました。
監視する、という意味が入っているのは個人的に少し違和感がありました。イメージで申し訳ないのですが、見守るというのはもっと柔らかく包むようなニュアンスを感じでおりました。
実は監視であったり、番をするといった意味合いがあったのですね。
この中で不登校生徒に向けて主に使われるのは「気をつけ大切にする」という部分かと思います。しかし実際の会話の中ではこの意味で使われていない時もあるのかな、と感じます。この「見守る」という対応は子どもにとって正しい対応になるのでしょうか?
今は、なんの為に子どもを見守っているのか?
対応としては「今は何の為に子どもを見守っているのか」という所が非常に重要なところだと思っています。
例えばですが、
- 子どもが荒れていてとても話せるような状態ではない。→少し落ち着くまで様子を見守ろう。
- 家にいて元気に過ごしてはいるが学校には行かないし勉強もしない。→どうアプローチしたらいいか分からないので、本人が自分の力で動き出すまで見守ろう。
この2つでは同じ見守るでも意味が違ってきますよね?
1.は本人の状態を見て、落ち着かせるためにという目的で見守っています。
2.はどうしたらいいのか分からないので、見守るという形を取っています。
どちらも一見間違っていないように感じられるかもしれません。しかし2の場合、どうしたらいいか分からず手詰まりなので放っておく、という意味にも取れます。1には目的があります。そして落ち着いたらこうしようという考えもあるでしょう。
では、2の「見守る」と「放置」は何が違うのでしょうか?私はこの辺りが見守るという言葉の危険性だと感じています。
意味のある「見守る」をしよう!
本人の力を信じて見守る、というのはとても綺麗な言葉です。そして実際にそれが必要な時というのは必ず訪れます。だからこそ改めて考えたいのですが、それは「今」なのでしょうか?
- 親御さんや周囲の人間含めて「見守る」を行うタイミングはいつが良いのか。
- どういう状態のときにそれをするのか。
- どのような「見守りかた」が適切なのか。
この辺りは書き出すと長くなるのでまた別の機会に書かせて頂こうかと思います。
今回お伝えしたいのは、「見守る」のであれば・・・
「なにを目的として行うのか」というところです。
思考放棄的に見守るというのはただの放置であって解決とは遠いものです。
「○○という目的の為に今見守っている、その段階が過ぎたら次はこうする。」こういった展望が早い解決には必要な対応だと思います。もし今それがなかったとしたら、改めて考えてみて頂くと良いかもしれません。目先の対応だけなく、先の展望、計画などですね。
お悩みの際は担当のカウンセラーにご相談ください。子どもの状態を見てそれにあった適切な対応とプランニングを行ってくれるはずです。それではまた。
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