四苦八苦の8つの苦しみって何?〜心の押入れと向き合うために必要なこと〜
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
私は部屋の掃除をするとき、処分するのが面倒な荷物はとりあえず押し入れに仕舞いこんで、居間だけはすっきりします。お恥ずかしいお話ですが、押入れの中はごちゃごちゃしていて、整理されていないことがほとんどです。
この、私の掃除のやり方と、人が心の問題を抱えていく過程は非常に似ています。今回は「心の押入れ」についてお話していく中で、心の問題に対する一つの捉え方をご紹介していきます。
日常で出会う、受け容れがたいこと
〜四苦八苦の8つの苦しみとは?〜
- 人から嫌われたり、
- 頑張っても評価されなかったり、
- 思ったように事が運ばなかったり・・・
人は生きていく上で、様々な苦しみに出会いますね。あらゆる苦しみのことを「四苦八苦」と言ったりしますが、その中身はこんな風になっています。
<8つの苦しみ>
生:生きていくこと、そのものの苦しさ
老:老い、衰えていき自由がなくなっていく苦しさ
病:病にかかり、それに悩まされる苦しさ
死:死んでいく苦しさ
愛別離苦(あいべつりく) :愛する人と別れる苦しさ
怨憎会苦(おんぞうえく) :怨み憎む人と出会う苦しさ
求不得苦(ぐふとくく) :求める物が得られない苦しさ
五蘊盛苦(ごうんじょうく): 心と体が思うがままにならない苦しさ
生きている限り、「自分の思い通りにならない」という苦しさに出会わないことはありません。
子どもがよく出会う苦しみにはどういったものがあるでしょう?
- 同世代の人たちと思うように打ち解けられず、孤立に苦しむ
- 人間関係が破綻しないため、嫌われないため演じて取り繕い、心労に苦しむ
- 他者から思いもよらない態度を取られ、傷付き苦しむ
- 誰かを傷付けてしまったり、取り返しのつかない失敗をしてしまい後悔に苦しむ
- 他の人から悪い評価を受けたらどうしよう、恥をかいたらどうしようと不安に苦しむ
- 勉強や部活で目標に到達できず、人生初の挫折に苦しむ
- 周りの人の方が自分よりも優れているように感じて、劣等感に苦しむ
- 自信がなく、自分には何もできないのではないかと無力感に苦しむ
- 進路など、自分はこれから何に向かって生きればよいのか、迷い苦しむ
- 自分ではどうしようもない、家庭内の不和により居場所がなく苦しむ
- 周囲に素直に助けを求められず、孤立無援に苦しむ
- 困りごとを訴えても「誰も分かってくれない」、周囲の無理解に苦しむ
様々ありますね。しかし、「受け容れがたいこと」があっても人はなんとか自分を守りながら生きています。
受け容れがたいことに遭遇したとき、人は「その出来事を意識の世界から無意識の世界に追いやる」という方法で身を守ることがあります。例えばどういうことかと言うと・・・
- その出来事を思い出さないようにする、忘れようとする(抑圧)
- 「そんなことない!」と否定して認めない(否認)
- 言い訳をしたり、こじつけたりして、都合のいいよう解釈する(合理化)
- 別のことに打ち込んだり、病気になることで困難から避ける(逃避) 等々
「自分はもしかしたら他の子よりも劣っているのではないか・・・いやそんなことはないはずだ!このことは忘れてしまおう。」
無意識はそんな風に、自分が受け容れがたい事柄を意識から追いやるのです。受け容れがたいことを誤魔化してしまうのですね。(前回の記事どうしても子どもを認められない時に注目したいたったひとつのポイントでは、無意識の防衛作戦を「心の鎧」という言葉で紹介しましたので、ご参考にお読みください)
この誤魔化しは、その場しのぎです。「意識の世界」から「受け容れがたいこと」を排除できていても、それは「無意識の世界」に移っただけで、消えてなくなるわけではないからです。
何かに似てますね。そう、私の部屋の掃除の仕方です。
「居間」から「処理しづらい荷物」をとりあえず押し入れに仕舞いこんで、見た目では綺麗になっていても、「押入れの中」はごちゃごちゃしているのです。こんな風に、人は心の荷物を、とりあえず目にしなくて済むように「心の押入れ」に仕舞いこんでしまうことがあります。
「心の押入れ」に荷物を仕舞いこみすぎるとどうなるでしょう?
余裕がなくなってくると、これ以上荷物を仕舞い込めなくなります(誤魔化しきれなくなる)。そして居間に荷物があふれ出してしまうように、日常生活で支障が出たり、心の症状や体の症状となって問題となり表面化してくるのです。
心に収まりきれないことというのは、それほど大きな影響を及ぼすこともあるのですね。
心の押入れは覗き見厳禁?
ここまで読まれると、「心の押入れがパンクしないように整理した方がいいのかな」と思われるかもしれません。心の整理はとても大事ですね。
しかし注意したいのは、安易に人の押入れを覗き見しようとしないことです。
自分の押入れを他人に勝手に見られるとどんな気分になりますか?押入れの中身というのは、自分の汚いところ、だらしないところ、駄目なところ、他人には見られたくない恥ずかしいところです。
たとえば専門家が、いやいや連れて来られた子どもに対して、抱えている問題を暴こうとし、解決してやろうとすることというのは、土足で人の家に上がりこんで、押入れを見て「汚いですね」と言うようなことです。そんなことをされたら、その人をもう家にはあげませんよね。誰だって心のシャッターを下ろします。
人の部屋にお邪魔になる前には、玄関先で軽く立ち話することから始めたりしますね。もしくは部屋の中に招き入れてもらったときには、じろじろ物色したりせず、案内されたところで大人しく座って「いいお部屋ですねー」とか言ってみたり、雑談したりしますね。ずかずかと踏み込みすぎない礼儀が大事でしょう。
人の心の部屋にお邪魔するときも、同じような礼儀が必要なのではないでしょうか。
心の荷物整理を手伝おうと思ったならば、相手の抱える心の問題を指摘しようとするのでなく、まずは自分の悪い所を出しても非難されないという安心を感じさせることが大事ではないでしょうか。
自分の押入れを人に見せてしまうと、相手から「だらしない」とか「駄目なやつ」などと思われるんじゃないかという不安もあるでしょう。押入れの中身を人に見せるには、勇気や覚悟、問題に向き合っていく姿勢なり、本人の状態も大事ですし、押入れを見せる相手との関係性も非常に大事です。
付け加えると、「この人の心の押入れ、散らかってそうだなぁ」なんて思ってみても、冷静に考えれば自分も人のことを言えないものです。押入れっていうのは誰でもちょっとは乱雑なものですよね。
心の荷物を整理するには
- 自分はこういうところが劣っている。
- あの人から良く思われていない。
そんな心に収まりのつかないことがあるとショックで冷静に考えられませんから、
- 自分のここが劣っている→自分は全体的に劣っている→何もできない人間なのでは?
- 特定の人から嫌われた→みんなからも嫌われてる→誰からも好かれないのでは?
こんな風に「一般化」して範囲を広げてしまうことがあります。
すると余計に荷物が大きくなってしまいます。そんな大きな荷物は抱えきれませんね。そうではなく、荷物を整理していき、心に収まりがつくようにしていく必要がありますね。
心に収まりきらないことを、人はいかに整理していくのでしょうか?
これまではとてもネガティブな「収まりきらないこと」を挙げてきましたが、それ以外の「収まりきらないこと」もあります。
例えば・・・
- 近所でパトカーがたくさん並んでいた
- 電車の中に有名人が居た
- 道端で落し物をしたら、知らない人が親切に拾って教えてくれた
- 懸賞が当たった
予期せぬこと、普段と違うこと。何かが起きて、それが普段の日常のレベルからちょっと逸脱しているということがあったとき、人はどうしますか?たいていの人は、それを誰かに喋りたくなりますね。「ねぇねぇこんなことがあったんだけど」と身近な人に話したくなります。そして誰かに話すと「話したい衝動」は下火になり、落ち着きますね。
このように、概ね人は誰かにその出来事を話すことによって、それを心に納めていくのです。これまで述べてきた、「受け容れがたくて心の押入れに仕舞いこんだ荷物」というのは、誰にも話されずに整理がつかないままになっているものか、もしくは人に1回や2回話したくらいではそう簡単に整理のつく事柄ではないものです。
後者の、少し話したくらいでは整理できない事柄には、強い感情が結びついているのが特徴です。複雑に感情が絡まってしまっているので簡単にはほどけません。
劣っていると感じて、落ち込んだ、絶望した、悔しかった、悲しかった、しんどかった。しかしどこかで、そんなことはないはずだと信じたい気持ちもある。
そういった感情がほどけないまましこりとなり、整理しきれない荷物となるのです。なので、仕舞いこんだ荷物を押入れから取り出して、紐解いていくと、その中に詰まっている感情があふれ出したりします。心の荷物を整理していく作業には、「感情の吐露」がつきものです。
カウンセリング等、相手の感情を理解しようとしながら話を聴いていくことには、このような荷物整理を手伝う意味合いもあります。感情を表出しながら整理が進んでいくと、心のスペースにも余裕が出てきますから、新しい荷物を入れる余地が出てきます。
こういった理由があるからこそ、学校に行っていない子どもを持つ親御さんに対して、心の専門家が口酸っぱく
- 「話を聴いてあげてください」
- 「感情を受け止めてください」
と言うのですね。
最後に…
意識は氷山の一角である。
そんな風に言われるくらい、意識というのは心全体における一部分に過ぎず、無意識が大部分を占めているという見方が多いです。
- 歩くこと
- 呼吸すること
- 食べること
大抵のことを人は無意識に任せています。いちいち「右足を上げてかかとから着地してつま先で蹴って・・・」などと意識してやらないですよね。そしていちいちそんなことを意識していたらきりがないですよね。なので無意識に任せて半自動的にやってもらいます。無意識の世界には実に様々なことが貯蔵されており、必要に応じてそれを使えるようにしてくれます。
それと同時に無意識には、その人がこれまでの人生を歩んでくる中で、目を背けたものたちが詰まっています。
- 忘れたもの
- 認めたくなかったもの
- 諦めざるをえなかったもの
いわば、「自分がこれまで生きてこなかった半面」「自分の影のようなもの」です。その影のような自分の半面は、意外なところで影響を及ぼし、意識的に望んでいるのとは違う方向に自分を動かしてしまうことがあります。
なんらかの心の事情により日常生活に支障をきたしているということは、「これ以上荷物を抱えてしまってはこの先、生きていけません」という自分の無意識からのメッセージかもしれません。
どんな荷物を抱えているのか、それにはどんな感情が詰まっているのか、余裕のないときほど心の押入れに向き合っていくことも必要ではないでしょうか。
押入れに処理しきれない荷物を溜め込まないために、普段からお家の中で子どもが自分の体験や感情を話すことができ、それをしっかり聴いてもらっていると感じるような体制を整えるか、もしくはそれほど親御さんに余裕がなければカウンセリングという方法で子どものサポート体制を整えていきましょう。
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