子どもなんて認められない!どうやって認めればいいの?現役カウンセラーが教える子どもの認め方
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
本日は、子どもを「認める」ということについて考えていきたいと思います。
どうしても…なかなか子どもを「認められない」親御さん
ネットや書籍など、色んな場面で「子どもを認めましょう」と推奨されていますね。子どもを認めてあげると、子どもの心によい影響を及ぼすらしいということは、もはや多くの人が当たり前に分かっていることだと思います。
しかし、センターに来られる親御さんとお会いしておりますと、子どもを認めようと思っても、なかなか認められずにいる親御さんがいらっしゃいます。
それは無理もないことだと思います。認めてあげようにも
- 子どもが頑張っているように思えなかったり
- 好きなことしかしていないように感じられたり
先のことも心配ですし、とてもじゃないけど認めようという気分になれない状況にある方が多いです。そうなると、頭では「認めてあげた方がいいんだろうなぁ」と思いつつも、それを実行できないまま時間だけが過ぎていきます。親御さんの方でも思考と行動が一致しないモヤモヤした状況に陥ってしまいますね。
ここでちょっと考えてみましょう。「認める」ってそもそもどういう意味でしょう?
認める=肯定評価をすること・・・?
「子どもを認めてあげましょう」という文脈の「認める」は、「肯定評価する」という意味合いとして使われているように私は感じています。
子どもがやっていることはよいことだと評価する、子どもには能力があると判断する、といったことでしょうかね。そういった意味での「認める」は、それなりの根拠がなければできませんね。しかし、「認める」と一言にいっても、様々な意味があることをご存知ですか?和英辞典を見ると分かり易いかもしれません。ちょっと見てみましょう。
【認める】の英訳
The school authorizes two kinds of uniforms.
注目していただきたいポイントは・・・認める=気付く、認識する
以上のように、
- 見える
- 気付く
- 判断する
- みなす
- 真実・有効性を認める
- 適当・正常だと認める
- よいと評価する
- 許可する
等、色々とありますね。
後ろの方に行くほど、正か誤か、善か悪かの評価が入り込んでいます。しかしそれ以外にも意味があり、特に注目していただきたいのは「気付く」という意味もあることです。「認識する」と言い換えることができるでしょう。少し整理しましょうか。
<一般によく使われる、認める=評価する>
子どもがよい人だと評価する、よいことをしていると評価する
上記の使われ方が多い気がしますが、
<気付きとしての認める=認識する>
子どもが~~なんだと認識する
という上記の使い方もあるのではないでしょうか、ということです。子どもが持っている、
- 思考
- 感情
- 願望
- 訴え
それをそのまま「今そういう感じなんだね」と認識する、それもひとつの認め方です。
例えば・・・
「ゲーム以外のことはやりたくない」と子どもが言ったら、肯定評価しようと思っても難しいですね。「ゲームひとすじで、一つのことをずっとやれるなんてすごいじゃない」などとはなかなか言えませんよね。
そうではなく、そのまま認識するという認め方であれば、
- 「あー、今そんな風に感じてるのね」
- 「ゲーム以外はやりたくないのねぇ」
といった返し方になります。(※言葉だけでなく表情と声色も大事です。)
認識するだけですから、そう思ってることが「良いこと」か「悪いこと」かは判断しません。また、
- 「だったら~したら」とか先のことを促したり
- 「それでいいと思ってるの?」とか内省させたり
もしません。
認識するところで留めておくことで、子どもの表現したものをそのまま写し返す鏡になります。鏡に映った自分を見ることで、自分で「このままでいいのかなぁ」と内省することになっていきます。
認める=現状肯定?
学校に行っていない今の子どもを認めるのは、現状を肯定しているようで抵抗がある親御さんも多くいらっしゃるかと思います。今の状況で認めてしまうと、ますます今の状況に留まってしまうのではないかという心配もある分、認められないですよね。
しかし多くの場合子どもは、自分が認められる機会が少なく、自分が否定されているように感じていれば感じているほど、その状況に留まります。「認められないなら見返してやろう!」と躍起になる場合は別として、です。
誰にとっても、自分が周りの人から認められていないと感じることは、ストレスフルなことです。
- 「誰も自分をわかってくれない」
- 「誰も自分のことを良く思ってくれない」
そう感じられると、子どもはそれ以上傷付かないよう殻にこもってしまいます。
人がとる、自分を守るための無意識の防衛作戦を「心の鎧」などと私は言ったりします。
- 変化や刺激を避けようとする
- 自分の評価が下がるのを避ける、評価が下がる前に自分で下げる
- 理論武装、言い訳で自分を正当化する
- ショックな出来事を忘れようとする、出来事を歪めて解釈する、その事実を認めない
- 他の人に責任をなすりつける、他者を否定することで自分を正当化する・・・等々(大人でもやりますね)
「自分を守ること」が行動基準になってしまえば、できるだけ刺激や変化から遠ざかり、無難で安全な生活を送ろうとします。自分を守るために、心の鎧を着込んでしまいます。ゲームやネットに時間を費やす方が、たとえつまらなくとも充実感がなくとも、少なくとも安全です。
そういった理由から、子どもを認めないままでいるのは多くの場合逆効果で、子どもが現状維持するのを促してしまうことになりやすいです。
自分を守るための鎧を着込むことにエネルギーを費やさずに済んだ方が、他のところにエネルギーをあてやすくなりますよね。自分を守ることに一生懸命になって、いつの間にか限りある人生の時間を費やしてしまっていた。それは無駄ではないと思いますが、もったいない気がします。
人が「ちょっと変わろうかな」と自分を変化させていこうと思えるには、「ちょっとやってみようかな」とリスクを承知で挑戦しようと思えるには、「自分を認めてくれる人がいる」という感覚が役立ちます。
どんな自分を見せても、親は否定せずにそのまま受け止めてくれるなぁと子どもが感じてくると、鎧は必要なくなりますから、別のところにエネルギーを向けようとし始めます。
子どもがもし、自分を守ることで一生懸命になっているのであればなおさら、少なくとも家族の中では自分を守らずとも済むよう、心の鎧を脱げるように、子どもの「そのままを受け止める」ような関わりが必要ではないでしょうか。
「そのままを受け止める」という認め方
これまで述べてきましたように、おだてて持ち上げるだけが「認める」ではありません。
評価をはさむと、その人の価値観が入り込みますから、「それはいい」「それは駄目だ」という判断が出てきて、認められなくなってしまうことがあります。そのため、評価をはさまない認め方、「そうなんだね」と気付いてあげる認め方、「そのままを受け止める」という認め方であれば、随分やりやすくなるのではないでしょうか。
もっと言うと、「今の、子どもを認められずにいる自分」というものを自分自身で認めていいのではないかと思います。子どもを認めることと、親としての自分を認めることとは、繋がっているように私は感じます。
「私は今、あまり子どもを認められずにいるなぁ」「受け容れられずにいるなぁ」ということ自体を認める。「こういう気持ちがあるから、なかなか認められずにいるのかもしれないなぁ」と、そんな風に今の自分を肯定評価するところまでは行かずとも、しっかりと認められる(認識し、受け止める)ようになると、他の人を認めやすくなりますよ。
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