なぜ子どもは学校を嫌がるようになるのか~学習理論の立場からの見解~
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
今回は、子どもがなぜ学校に対して不安や恐怖を覚えることになるのか、説明していきますね。
学習理論
心理学の理論の中に「学習理論」というものがあります。ここでの学習とは、勉強の意味ではなく、行動や反応のパターンを覚えるという意味です。人を含む動物には様々な学習の方法がありますが、今回はその中の一つである、「古典的条件付け」というものを取り上げます。
たとえば、犬に餌をあげる前にベルの音を鳴らす、ということを繰り返したとします。そうすると、犬はベルの音を聞くだけでよだれを出すようになります。
まず、<餌>という、<よだれ>を無条件に引き起こす刺激がありますが、それに<ベルの音>という<よだれ>を引き起こすこととは関係のない刺激をセットにすることで、<ベルの音>を聴くだけで<よだれ>という反応を引き起こす『学習』をしたということです。
動物は、特定の反応を引き起こす<刺激A>と、別の無関係の<刺激B>を同時に受けると<刺激B>に対しても<刺激A>と同じような反応をするようになるのですね。(これを古典的条件付けといいます)
大学生A君の例をみてみましょう
少し例を見てみましょう。
大学生の男の子、A君がいます。A君は一人暮らしをしています。
彼は実家に帰省するために、片道2時間弱の電車に乗りました。その電車の中で、A君は体調不良を起こしました。吐き気や貧血で倒れそうになったのです。経験したことのない自身の不調に、A君は「死ぬのではないか」と強い恐怖を覚えました。
なんとかこらえてそのまま電車に乗っていると、体調は回復していきました。
「一時的なことだろう」とA君は別の日にまた電車に乗りましたが、また似た症状が起きてしまいます。そこからA君は、電車に乗ることを避けるようになりました。「電車に乗ったらまた同じことが起きるかもしれない」と不安がつきまとうようになったのです。
この場合、<電車>という本来無害な刺激が、死ぬかもしれないという<恐怖>を引き起こした<体調不良>とセットになってしまったことによって、<電車>が<恐怖>を引き起こすように脳が学習してしまったのですね。
こうなると、A君の努力だけではどうしようもありません。頭では「電車に乗れないなんておかしい」と分かっています。A君は
- 「他の人は当たり前にやれることが自分には出来ないなんて、自分はなんて弱いんだ」
- 「そんなこともやれない自分が嫌いで嫌いで仕方ない」
と思っていました。
生きるために動物は学習するが・・・
我々動物が学習をするのは、本来は生存の可能性を高めるためです。狩りをするとき、この植物の成分を矢じりに塗ると、獲物が動かなくなって確保しやすいと覚えたり、穀物を育てるときはこれを肥料にするとよく育つと覚えたり、この動物は毒を持っているから危険だと覚えたり・・・学習とは生きるために必要な脳の機能なのですね。
しかしA君の例のように、人の脳はときに誤った学習をしてしまうことがあります。恐怖を覚え、そこから避けるように体が反応するのは、自分の生命の安全を保つための本能的な防衛反応ですが、本来無害な対象にも反応してしまうことがあるのです。
そして、学習は<般化>するという性質があります。
先の例で言うと、<電車>に対してのみの恐怖反応が、<電車以外の類似したもの>にも広がってしまう、ということです。A君の恐怖の対象は、最初は電車でしたが、それが広がってしまって<乗り物全般>に恐怖を覚えてしまいました。やがて車やバスに乗るのも恐くなりました。
A君の場合は<乗り物>というカテゴリーでしたが、場合によっては恐怖を覚える対象が<閉じられた空間>に広がることもあれば、<人が集まる場所>に広がることもあります。そうなると、日常生活を送る上で支障が出やすくなってしまうのですね。
不登校の場合はどうか
学校に行かない、行けない子の全てがこの学習理論で説明できるわけではありません。しかし、中にはこの学習理論を知ることで理解が深まる場合もあります。
- 恥をかいた
- 嫌がらせを受けた
- 傷付いた
- 劣等感、無力感を抱いた
- 嫌悪感を抱いた
- 恐怖を感じた
といった否定的な感情を、教室場面で経験するか、経験し続けたりすると、本来無害である<教室>という刺激に対してでも、否定的な感情が生じるようになります。
そして、学習が「般化」すると、教室を連想するものに対しても否定的な感情を抱くようになります。
- 勉強
- 同学年
- 同世代
- 集団
- 人ごみ 等
本当は特定の個人か、数人とのいざこざであったものが、人間全般に広がってしまい、人との関わり自体を避けがちになる子どもも多いです。
勉強についても般化しやすいと私は感じています。親御さんも、せめて勉強くらいしなさいと躍起になる方もいらっしゃいますから、<勉強>と<親から色々言われる>という刺激がさらにセットになり、勉強そのものに嫌悪感を抱くようになったりもします。
子どもがなかなか行動を起こせないのは、必ずしも「やる気の問題」だけであるとは言えず、「脳がそういう風にプログラムされてしてしまっている」場合もあるのですね。
不適切な学習を消去するには
もしも脳が不適切な学習をしてしまったのだとしたら、どうすれば良いと思いますか?
また少し大学生のA君の例を見てみましょう。
当時A君は乗り物全般に苦手意識を持ってしまっていました。大学は無事卒業できることになっていましたが、思わぬところで試練が舞い込んできました。
友人から「卒業旅行」に誘われたのです。しかもそれは「車で3時間ほど走り、スキー場に行く」という内容でした。そのときのA君にとって、車に長時間乗っているのは拷問でしかありません。
A君はもちろん断りました。でも友人は引き下がりません。友人は「最後だからみんなで楽しもう!」と、A君の不参加を許しませんでした。A君は、自分のことを放っておかずに連れて行こうとしてくれる友人の気持ちに心を打たれ、結局行くことにしました。
車の中では案の定、気持ち悪くなったり、不安になったりしました。しかし、なんとか耐えて、次第に旅行を楽しめるようになってきました。あっという間に旅行は終わり、帰るときには名残惜しい気持ちになっていました。家に帰ったとき、A君の胸の中は。「なんだ!自分もやればできるじゃん」と達成感で一杯だったといいます。
それからA君は、電車やバスを少しずつ利用しました。
時々同じような症状が出ながらも、「乗り越えた」という実績を作っていきました。やがてA君は電車に乗っても何も気にしないようになりました。もうそんなことで悩んでいたことも忘れて、満員電車に乗って仕事に向かっているそうです。
いかがでしょうか。
A君は、恐怖を覚えた<乗り物>という刺激を受けても「平気だった」という経験を積みました。
学習理論では、これを「消去」と言います。誤って学習されたことを、消してしまうことを言います。
私なりの言い方をすると、「脳のプログラムにバグを入れること」です。犬の例で言うと、<ベルの音>と<餌>をセットで出していたところを<ベルの音>だけを聞かせ、<餌>を出さないようにすることです。そうすると、犬は<ベルの音>が鳴っても<餌>が出ないことを学習し直すのですね。
不登校の場合は・・・
不登校の場合は、事情が複雑に絡み合っていたりするため、すんなり行くわけではありません。否定的な感情を表現したり整理しきれていないのであれば、そこを理解しなければなりませんし、不安や恐怖が強いのであれば、いきなり登校させると逆効果になることもあります。場合によっては、本人が感じる不安が低い事柄から取り組めるような環境づくりが必要です。そして、本人の課題に取り組むモチベーションや、覚悟・決断が必要であったりもします。
しかし、教室やそれに近い集団環境など、本人が向き合って
- 「平気だった」
- 「なんてことなかった」
といった経験を積んでいけると、不安や恐怖も低下しやすいです。
最後に
まずは、本人のどうにもならない不安や恐怖を、周囲の人が理解しようと思ったならば、この学習理論をときどき思い出してもらえたら、と思います。
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