子どもにあった生き方を模索するために
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
近頃、「ぼっち」という言葉をよく耳にします。「ぼっち」とは、一人ぼっちのことです。今日はこの「ぼっち」について考えていきたいと思います。
「ぼっち」の一般的なイメージとは
世間や学校では「ぼっち」という言葉が否定的に使われることが多いです。
- 休み時間に一人で読書していれば「ぼっち」
- 給食やお弁当を一人で食べていれば「ぼっち」
周囲は何かと「ぼっち」だと言います。そして「ぼっち」という言葉には、暗くてとっつきにくい、などマイナスのイメージを伴うことが多いですよね。
「ぼっち」と言われた子どもはどうなのでしょうか。
それでは「ぼっち」と言われている子どもはそのことについてどう思っているのでしょうか?おそらく「ぼっち」にはなりたくない、と思う子どもも多いのではないかと思います。
「ぼっち」になりたくないと思う子どもにも2つのタイプが考えられます。
- 「ぼっち」になること自体が嫌な子ども
- 周囲から「ぼっち」だと思われることが嫌な子ども
の2つです。
「ぼっち」になることが嫌な子どもと、周囲から「ぼっち」だと思われることが嫌な子ども
1人でいる方が楽な人も世の中には存在します。自分としては、むしろ「ぼっち」でいることを望んでいるのに、周囲から「ぼっち」と思われるのが嫌だとしたら、きっと苦しいと思います。本心や願望をずっと押し殺しているようなものですね。
世間の流儀に囚われ過ぎないことも大事
友人がいることで得られるものは小さくありません。それでも、友人がいなければ、その人に価値というないわけではありません。
人が10人いれば、10通りの生き方、生き様があると私は思っています。
世間の流儀に囚われ過ぎず、その人に合った生き方を模索していきたいですね。そのためのお手伝いを私たちにさせていただければ幸いです。
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