進路選択の決断が転機となった女の子Aさんの不登校解決事例
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
今回は、私が担当していたAさん(女子)のお話をしたいと思います。
中学生のAさんの事例
Aさんは、中学校に入ってから、クラスに上手く馴染めませんでした。
同じ小学校から来た子がほとんどおらず、しかもクラスの女子は別の小学校出身の子たちのグループで固まってしまっていて、グループに入る余地がなかったのです。クラスの男子からはあだ名をつけられたり、嫌なことを言われたりしていました。
担任の先生に相談しても、なかなか分かってくれません。それどころか、Aさんを無理やり教室に入らせようとしました。
やがて、Aさんの足は学校から遠のきました。
学校に行かず、家に居るからといって楽なわけではありませんでした。家に居ても、クラスの人たちが自分をどう思っているのかを考えてしまいます。
頑張って学校に行っても、クラスに居るだけで気持ち悪くなったり、頭が痛くなります。せっかく行ったのに、「Aはもう来なくていい」「Aはすぐに帰る」といったことを言われたりもしました。
抜毛(無意識に髪を抜いてしまうこと)が癖になり、帽子を被らないと出歩けなくもなりました。学校で帽子を被ると目立つので、なおさら行きづらくなってしまいました。
Aさんが見せた変化
カウンセリングの場で、
- 「自分は人見知りだ」
- 「一対一で喋るのが苦手」
とAさんは私に言いました。
しかし、話している中で私が感じていたのは、Aさんは気遣い上手でユーモアなところがあり、よく笑うので一緒に喋っていて楽しい、ということでした。そして、自分が欲しい物よりも小学校時代の友達へのプレゼントを優先して買ってあげるなど、非常に友達思いなところがありました。さらには、お父さんお母さんと取り決めた目標や、カウンセリングの場で決めた目標には頑張って取り組むところがあり、「決めたことを頑張る強さ」を持っていました。
彼女は時間の経過と共に、少しずつですがたくさんの変化を見せてくれました。記録を振り返っているとたくさんありましたので、時系列に沿って箇条書きにしてみました。
- 学校に行くと気持ち悪くなるけど、4時間目から行けばなんとかなると思えた
- 遅れて行っても挨拶してくれる人がいるから嬉しいと思えた
- 週に2回行くことを目標にしてチャレンジした
- 夏休みは毎日外に出るのを目標にしてチャレンジした
- 自分なりのストレス発散法や楽しみを探し始めた
- 海に自転車で行った(かなり遠いです)
- 夜にウォーキングするようになった
- ギターをやってみたいと、自分なりに練習し始めた
- 高校ではカルタをやりたいと、先の明るい見通しを持てるようになった
- 人の目(人から自分がどう思われるか)に少しは耐性がついてきたかもしれないと思えた
- 電車が苦手だったのに、一人で電車で遠出をした
- 少しずつ勉強に取り組むようになった
- 授業を受けたいと思えるようになった
- 修学旅行に参加できた
そして、決定的だったのが、進路選択だと思います。
Aさん、進路選択の決断
Aさんは
「自分は一旦家から出ないといけない。だから寮生活する」
と決断しました。
しかもその選んだ高校は、かなり遠方にある高校でした。私は心配でしたが、同時に勇気ある決断をすることが出来たなぁと感じました。
面接試験に向け、自分の長所短所を振り返ったり、どんな高校生活を送りたいかを考えたりしました。中学校ではなぜ学校に行けなくなったのかを言葉にして、Aさんはしっかりと自分と向き合いました。Aさんの面接のリハーサルを私はやらせてもらいましたが、感動するくらい立派に胸を張って大きな声で受け答えしていたのが印象的でした。
無事に希望の高校に合格し、Aさんは親元を離れて寮生活をすることになりました。最後にカウンセリングで会った時には、「高校では5人に自分から声をかける」という宿題を出し、見送りました。(中学校に入ったとき、Aさんは人見知りだけど実は自分から声をかけることが出来ていたので)
進学先が遠方なので、高校に入ってからは不登校支援センターに来ることはありませんでしたが、今年の7月、Aさんのお母さんから「先生に報告したいことがあるらしいです」とご連絡いただき、Aさんは先日顔を見せに来てくれました。
高校に入ってから無遅刻無欠席で、学級委員をやり、行事も積極的に参加していること、ボランティア活動をしたこと、そして弁論大会に出たことなどを教えてくれました。
とても充実した高校生活を送っているようでした。私が最後に出した宿題も「やりました!」と得意気な表情を見せてくれ、どうやら周りの人たちとも上手くやれているようでした。
不登校支援センターに初めて来た時の、うつむき加減のAさんは、もうそこにはいませんでした。
なぜ上手くいったのか
「遠方の学校で寮生活を始めたのが良かった」かというと、それだけではないと私は考えています。
「学校に行かない」とひとくくりにしてしまえばそれまでですが、Aさんは行っていない期間でも、試行錯誤したり、これまでやらなかったことをやってみたり、学校以外のところで自分を少しずつ「変化」させる努力をしていました。Aさんは学校に行かない期間を「助走」の期間に出来たのだろうと私は思います。
私の好きなMr.Childrenの「星になれたら」の歌詞の一節に「長く助走をとった方が より遠くに飛べるって聞いた」という言葉があります。
Aさんはまさしく、長く助走を取った分だけ遠くに飛んだなぁと思います。学校に行かない期間を助走期間に出来ていたのだとすると、もちろんAさん本人の努力ありきですが、それを支えたのはやはりご家族だと思います。
お母さんは悩ましさや辛さも勿論抱えていらっしゃったと思いますが、「もう長いですから」と割り切り、学校に行かないことをとやかく言うわけでもなく、Aさんと楽しく関わられていたのではないか、そう私は思います。センターにカウンセリングに来たとき、Aさんとお母さんは待合室で楽しげに笑い声をあげながら喋っていたので、その声でカウンセリングルームに居る私が「あ、来たな」と気付くくらいでした。
お父さんとお会いしたのは最初だけでしたが、一家の大黒柱としてお小遣いとか、目標とか、交渉などなど、「取り決め」の部分をビシッとされていた印象です。お姉さんは、Aさんが抜毛で困っていたとき、帽子を編んであげたり、面接試験のときは様々なアドバイスをし、練習に付き合ってあげていたとお聞きしています。
そのような「関係性」が、Aさんが少しずつ変化するための環境となり、成長するための養分となったのではないかと思います。
最後に
学校以外の場にも、成長の種は転がっているかもしれません。たとえ小さな変化や小さな努力でも、見逃さないようにしてあげてください。人はそうそう大きく変われませんが、小さな変化を起こすことなら可能かもしれません。大きな変化は大抵、小さな変化から生み出されるものです。
そして、学校に行かせるためには何をやらせるか、どう変えてやろうかと考えるよりも、自分と子どもの関係はどうだろうかと振り返ってみてください。
人間は関係の中で生きる動物です。お父さんやお母さんがこれまで生きてこられた過程には、「関係性」によって支えられたところが少なからずあるのではないでしょうか?「何をやるか」よりも「どういう関係であろうか」と一歩引いてみてみるのもいいでしょう。
最後に、Aさんへ。
Aさんはこれからの人生、壁にぶつかったり、落ち込んだり、迷ったりすることもあるでしょう。そんな時には「転んでも立ち上がった経験」を思い出してください。もう立ち上がり方を知っているのですから。
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