子どもにアドバイスをするのは逆効果?
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
今回は「子どもにアドバイスをすること」について考えていきたいと思います。
カウンセラーは子どもにアドバイスをあまりしない
カウンセリングというものに初めて触れられる方は、カウンセリングを受ければ
- 「良いアドバイスをもらえる」
- 「解決法を教えてもらえる」
そういった期待をされているかもしれません。
しかし実際には、カウンセラーが相談者の方にアドバイスをすることは稀です。
(※当センターのカウンセリングは親子を対象としておりますので、親御さんに向けたアドバイスは行いますし、コーチングの過程でアドバイスをすることはあります)
なぜ、カウンセラーはアドバイスをしないのだと思いますか?
これには4つの理由があります。
カウンセラーがクライアントにアドバイスをしない4つの理由
①アドバイスは役に立たないことが多い
人の相談に乗るとき、かなりの確率で正論は役に立たないものです。朝起きれなくて困っている人に「早く寝たら?」と言っても、そう簡単に解決しないですよね。正論を言われると、人は「そんなの分かってるよ!」と反発したくなるものです。
悩み続けている人に正論を言うのは、砂漠をさまよって飢えている人に「水を飲めばいいですよ」と言うのと同じようなことです。正しさが人を救うとは限らないのですね。
②方法論の問題ではないときがある
カウンセリングに来る前に、人は考えうる色んな方法を試みます。「この方法でやってみてください」というアドバイスで解決するような簡単な問題ならば、カウンセリングなど必要ないのです。
人が抱える大きな悩みは、方法論の問題ではなく、感情の問題であることがほとんどです。感情が問題解決を邪魔するのですね。「本当はこうすればいいんだろうとは思うんですけど、でも気持ちがついていかないんです。」といったように、解決方法は明確だけど、気持ちがどうにもならないということがあるでしょう。そういった場合、方法よりも、その人の感情に焦点を当てていかねば進展しません。
③カウンセラーの考え方、やり方を押し付けることになる可能性
説得されるのって結構嫌なことですね。自分の考えを捻じ曲げられるわけですから。
- 「あなた、こうしてみたらどうですか?」
- 「こう考えてみたらどうですか?」等
問題の当事者でもない人から言われて素直に聞くことが出来る人もいるかもしれませんが、なんだかプライドが傷付きませんか?私だったらその説得を素直に聞けません。人は誰しも説得されたくない、自分の頭で納得したい、そういう気持ちが少なからずあります。
ましてやカウンセラーは心理学の知識はあれど、正しい人でもなければ、素晴らしい人でもありません。私は解決方法が考えられるけど、あなたには考えられないでしょ、という発想はおこがましいものですね。「相手は解決法を考え付くことができない」と決め付けてしまっているからです。私の正しい考え方、やり方を相手に押し付けるということは、相手の考え方、やり方を否定しているのと同じようなことですね。
職場のトップの人に「社長、こうした方がいいんじゃないですか?」などとは、余程でない限り言わないですよね。相手の能力や立場、面子を尊重していれば、助言などそうそうできないものです。
④その人の力で問題を乗り越えたことにならない可能性
カウンセリングでは、その人が問題を自分の力で乗り越えることに重きを置きます。なぜなら、その人に変化や成長がなければ、また同じ問題で苦しむ可能性があるからです。
仮にカウンセラーがアドバイスをして、その人が問題を解決できたとしても、解決の手柄はカウンセラーが奪ってしまうわけですから、また何か問題があるとその人はカウンセラーを頼るようになり、依存させてしまうかもしれません。
これらの理由によって、カウンセラーは安易にアドバイスを行わないのですね。
「親」と「子ども」の関係性でも同じこと・・・?
上記は「カウンセラー」と「相談者」の関係でお話してきましたが、「親」と「子ども」の関係においても同様のことが言えるのではないでしょうか。
子どもがアドバイスを必要としていて、それを聞き入れようとするのであれば問題ありませんが、子どもにアドバイスをしても「そんなの分かってるよ」という風に反応するときは、あまりやり過ぎない方がいいでしょう。
良かれと思ってアドバイスをしても、暗に子どもの
- 「考え」
- 「やり方」
- 「能力」
を否定してしまうことになっているかもしれません。アドバイスをすることで、子どもが「考える機会」「自分で試行錯誤して成長する機会」を奪ってしまうことになるかもしれません。
「自分のため」のアドバイスならばアドバイスしない方がいい
少し、アドバイスをする側の心理を考えてみましょう。ちょっと極端な例ですが、以下の言葉を紹介します。
「メサイヤ・コンプレックス」
「メサイヤ」というのは救世主の意味で、メサイアコンプレックスがある人は「人を救いたがる傾向」があります。例えばちょっとでも困っている人がいると不必要に助けたり、同情したり、困りごとを探ったり、ひどい場合には困りごとをつくりだしてしまうような、有難迷惑をしてしまいます。
これは人を救っているようで、しかし本当は自分を救っているのです。自分の救われなさを他人に投影するので、他人が救われない人のように思え、その人を救うことで、救済者として感謝され、自分の救われなさを解消します。
要するに、相手がどうあれ可哀想な他人をつくりあげてその人を救うことで「自分は人を救うことが出来るんだ」という優越感を満たしたり、自分の役割を得るのです。そして「自分は何の役にも立たないんじゃないか」といった劣等感を誤魔化します。
「自分のため」ではなく「人のため」は難しい
このメサイア・コンプレックスはおせっかいの最たる例ですが、多かれ少なかれ、人にはそういったところがあったりします。カップルなんかで「私が居ないとあなたは駄目なんだから」と言うことで「私は必要とされている」と実感する、なんてことも起こりますね。かく言う私も、気付かぬ内に、このコンプレックスに支配されていたときがありました。
アドバイスは、やってる側にとっては気持ちの良いことなんです。「困ってるあなた」と「答えを知っている私」という様に、相手より優位に立てるからです。でもやられる側は劣位に立つので、居心地が悪いわけです。
本当に「人のため」に何かをやるのは難しいことですね。なぜならば、どこかに「自分のため」というのが紛れ込んでいるからです。
相手を喜ばせようとプレゼントをあげたとして、それには「相手を喜ばせる」という目的があるかもしれませんが、「自分を好いてもらう、感謝してもらう」という目的が紛れ込んでいるかもしれません。
プレゼントをしたのに相手がそれを喜ばずに礼もしない、それであげた側が怒るのであれば、「相手は自分に感謝すべき」という「自分のため」が隠れていたということになります。
純粋に「相手のため」ならば、落ち込むかもしれませんが腹は立てません。そのプレゼントで喜ばなかったのなら相手は何をもらうと喜ぶのだろう、という様に考えます。見返りを求めないのですね。
感性の鋭い子どもは、実は親が「親自身のために」やっているのに、「あなたのためにやってるのよ」と言うことを嫌うところがありますね。直感的に親が「親自身のために」やっていることに子どもは気が付きますし、「自分はそういうことを求めていない」と心得ているからです。
例えば・・・
勉強をしていない子どもに対して親が塾に入れてあげようとする。でも子どもは塾に入る気も勉強する気もない。そこで親が「あなたのためなのよ」と無理やり塾に行かせようとしたものならば、子どもは親が「親自身のために」自分を塾に行かせようとしていると感じる。つまりは、子どもは「親が、勉強しない自分を不安に思っているから、その親自身の不安を解消するために」塾に行かせようとしていることを直感的に察するのですね。
せっかく親御さんが子どものために何かしようとしているのに、溝が深まってしまうのは本当にもったいないことだと思います。
アドバイスをする前にまず、「自分のため」にアドバイスをしようとしてないか、見つめなおしてみる必要があるのではないでしょうか。
- あなたの問題を「私が早く片付けたい」と思っているからアドバイスをしていないか。
- あなたの問題で「私がイライラしているから、不安だから」アドバイスをしていないか。
- このアドバイスは本当に「相手のため」なのだろうか
- そもそも相手はアドバイスを求めているだろうか
- 相手は何を求めているだろうか
そこを「想像する」ことから始めなければなりません。
アドバイスをする代わりに、「話を聴く」ことが出来る
それではアドバイスをする代わりに何をすれば良いのでしょうか。
アドバイスをする代わりに人は「聴く」ということが出来ます。相手の話を「でも」とか「いやそれは」と遮らずに最後までちゃんと話を聴く。普通に生活していると、案外そんなシンプルなことをやる人と出会いません。
みんな自分の考えや意見を持っていて、相手には持論を展開したくなります。だから話を聴いているようでいて、心の内では相手に持論を理解してもらいたくなるのです。
相手のことを本当に理解しようと思ったならば、一旦自分の価値観を脇に置いておかねばなりません。相手の言っていることが、「それは正しい」とか「それは間違っている」とか自分の物差しで判断してしまって、結局相手の言うことを受け止められなくなってしまいます。
最後に
「学校に行きたくない」と子どもが発言して、親がそれは悪いことだと判断すると「でも行かないと駄目でしょ」と争うことになりますね。学校に行かないことの良し悪しは置いておいて、「学校に行きたくないと思ってるのね」と聴いていくことによって子どもの理解を深める可能性が出てきます。
人は「自分の話を聞かない人」の言うことを聞かないところがあります。反対に、「自分の話を聞いてくれる人」の言うことを聞こうとするところがあります。
「自分のことを真剣に考えてくれている」という安心感を与えようと思ったならば、否定せずに、断定せずに相手の話を最後まで聴き通して受け止めることが必要です。
なかなか手間のかかることですし、時間が許さないところがあるかもしれませんが、徐々にそこから始めるのはいかがでしょうか。
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