不登校になった責任追及よりももっと大切なこと③~生きる意味と不登校~
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
前回不登校になった責任追及よりももっと大切なこと②~アイデンティティと不登校~に引き続き、「生きる意味と不登校」という内容でブログを書いていきたいと思います。
「学校に行く意味が分からない」「生きる意味が分からない」と言う子ども
学校に行かない子の中には、
- 「学校に行く意味が分からない」
- 「生きる意味が分からない」
と言う子がいます。こういった傾向は特に、人生の指針を決め始める高校生に多い印象があります。子どものそのような発言に対し、親は何と答えるべきか、悩ましいですよね。
実際のところ、「人間が生きる意味」って何でしょう?
今回はその「生きる意味」に焦点を絞ってお話したいと思います。
よい学校、よい会社に行くこと=高い序列に行くこと=幸福?
豊かで不自由のない生活を送りやすい時代にはなりましたが、漠然とただ生活を維持するために働き続けているような、そんな時代ではないでしょうか。
大昔から人は、自分たちが生きやすくするために文明をつくり、社会というシステムを作ってきました。しかし今は、その社会システムを維持するために人が生きなくてはならないというような、そんな側面があるのではないでしょうか。
現代では昔ほど宗教を信仰している人は多くありません。何のために生きていけばよいのか指し示してくれる神様も信仰心のない人にとっては遠い存在です。また戦時中、戦後のように
- 「国家のために」
- 「勝つために」
- 「生きるために」
- 「より豊かな生活を手に入れるために」
といった目標も持つことは、現代では難しいでしょう。
そんな現代でも、割と多くの人が指針とする生き方が「よい学校、よい会社に行くこと」です。
評価の高い学校や企業に所属できると、誇らしい気持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。そして、親御さんとしては子どもにはできるだけ安定して豊かな生活を送って欲しいという思いから、「よい学校、よい会社」に進んでほしい、と思われる方もいらっしゃると思います。
高校や大学などの学校側も、子どもを有名大学に進学させた実績、有名企業に就職させた実績がある方が信用を得られますから、教師が子どもをなるだけ高い序列に押しやろうとするのは当然かもしれません。
「ウチは高望みしてません」というご家庭でも、進めるのであれば偏差値の低いところよりかは、それなりの、ぼちぼちのところには行って欲しいと思われるかもしれません。当の子どもも、低い偏差値の学校よりは、高い偏差値の学校に行きたがる、といった傾向があるかと思います。
高い序列に行くことが幸福であるという風潮があるのは否めません。
高い序列に行けば幸せになれるのか?
大人からの「子どもには出来るだけよい学校に行って欲しい」という期待を受け、子どももそれに向かって頑張ることが多いですが、成長して色んなことが見えるようになってきたり、頑張ったけど「自分は高い序列に行けないらしい」ということが感じたりしてくると、こんな風に考える子が居てもおかしくありません。
いい高校、いい大学、いい会社に入ったところで、それで何になるの?
高い序列で生きたところで、幸せになるの?何の意味があるの?と。
- だって、いい大学、いい会社に入っているはずの大人が幸せそうに見えない。
- お父さんもお母さんも先生も幸せそうでない。
- むしろ不満そうな顔をしている。
- 頑張ったところで、明るい未来は待っていないのではないか?
- 就職して結婚したところで、明るい生活は待っていないのではないか?
そんな風に考え出すと、希望が持てなくとも無理はありません。
現代は、なんとなく高い序列に行くのがよいことだとされているような風潮があるものの、みんながみんな高い序列に行けるわけではありません。「高い序列に行くことが良いこと」という面とは別に、
自分なりの生きる指針、自分なりの幸せを各々が見出さねばならない
といった側面があるのではないでしょうか。
また社会的地位といったものが、人生を左右しかねない大きなものであったとしても、序列と幸福が直結するかどうかなど、実際分からないですよね。
反対に、「他者より優れていることが幸福である」という人生観もあるかと思います。
例えば、高い序列に行くことが人生の目的となったとしましょう。その人は「自分より優れているか劣っているか」で他者を判断するかもしれません。自分より優れている相手には劣等感を抱き、自分より劣っている相手には優越感を抱き、いずれにしても、他者を「敵」「競争相手」とみなす生き方になってしまう可能性があります。
現代の、学校の偏差値、企業ブランドで物事の良し悪しを判断する風潮というのは、多かれ少なかれ、そういった人生観を子どもに刷り込むのに一役買っている、という面があります。
このブログを読まれているあなたはどう思われますか?
「そんなこと言ったって結局学歴社会で社会的地位もないと生きづらい世の中じゃないか。だから子どもには学歴をつけないと!」そんな意見もあるでしょう。それは否定できません。
ただし、子どもには「一面的な物の見方で生きて欲しくないな」と私個人は思います。高い序列に行くことが人生の目的になれば、それが叶わなかったときに「高い序列に行けない自分の人生には意味がない」という具合になってしまいますからね。
さなぎの時期が不登校の時期でもある子どもも
子どもが「生きる意味が分からない」と表出しているということは、少なくとも周りの大人の意見を鵜呑みにせず、世間一般の風潮に流されず、自分なりの人生観を築き上げようとしている、生きる指針を模索していると言えます。
親御さんには、親御さんの価値観、子どもには子どもの価値観があります。親の価値観を信じて生きてきた子どもも、いずれは自分なりの価値観を獲得する日が来ます。
自分なりの価値観を構築するためには、一旦親から受け継いだ価値観を崩さねばなりません。
これまで信じてきたものを取り壊し、構築していくことになるので、相当な作業を心の中で行うことになります。
心が内側での作業に追われているとき、現実生活のパフォーマンスは落ちざるを得ません。心の揺れが生じ、家出といった突発的なことをやる子もいれば、「こもり」を必要とする子もいます。
蝶が幼虫から成虫になる前には「さなぎ」となる時期がありますね。さなぎは外から見ると、ほとんど何も動いていないように見えます。しかし、内側ではものすごい変化が起こり、その姿形を変形させて蝶へと成長しますよね。ちょうどそれと似たようなことが、人間にも起こりうるのです。
これまで自分の価値観でもあった親御さんの価値観を取り壊すということは、信じるものがなくなってしまう時期が生じるということになります。その時期は生きる指針を失うことになるので、不安定にならざるを得ません。
その目標喪失の時期、さなぎの時期が不登校の時期であると思われるお子さんもいらっしゃるのです。
さなぎの時期のお子さんに対して大人は何ができるか
さなぎの時期にあるお子さんに対して、周りの大人は何ができるでしょうか?
1つ目は・・・
「さなぎである」と認識することができるでしょう。さなぎである、ということは「これから蝶になる可能性を持った存在」であると認識するということです。
動きを止めてしまったからといって、「無力な存在」だと思わない、「早く蝶になれ」とせっついたりいじくったりしない、過度に病人扱い、駄目な人扱いをしない、といったことは本当に大事なことと感じています。
ここについては以前の記事の「どうせ自分なんて…」と悲観する子どもへの接し方のコツ③を読んでいただければ、と思います。
2つ目は・・・
周りの大人が「人生を楽しんでいるモデル」を示すことができるでしょう。
「生きるのって面倒だし、しんどいこともあるけど、こんな風な楽しみ方だってあるんだよ」と先を生きる人として大人自身が人生のひとつの指針を見せてあげることができます。
自分にとって世界はどういうところで、どんなことに喜びや生きがいや価値を感じて、何を指針に生きているのか、それを子どもに示すことで、ひとつの「お手本」を見せることになります。
それを取り入れることもあれば、反対の価値観を発展させたりもし、いずれにせよ価値観をつくりあげる材料を提供できる可能性があります。
自分の人生の目的、自分がたどり着きたいところを一緒に考える
私は子どもと話をする中で、子どもが自身の価値観に気付けるよう、前回の記事の「鏡の役割」を担うことや価値観をより豊かにできるよう、「ひとつの価値観のモデル」を示すことを心がけています。
カウンセリングでは時折ワークなども用いますが、その中でも「10年後の理想の自分」というワークを私は好んで使います。
(※状態によっては使わない方がいいときもありますので、ご注意ください)
何年後でもいいのですが、理想の未来の自分がどんな所に住んでいるか、誰と住んでいるか、どんな仕事をしているか、どんな余暇を過ごしているか、できるだけイメージを膨らませてありありと未来像を描いてもらうのです。
私が「これちょっと一緒にやってみない?」と誘うと、「えー!」と面倒くさそうな反応をする子がやや多いですが(笑)、理想の未来について、無批判に自由な雰囲気で想像を広げてもらうと、大体楽しげに自分の未来を語ってくれます。
ワークを終えたときの反応は様々です。
- 「こんな未来に行けるかなー行けたらいいけどな」と期待と不安がない交ぜになっている子
- 「これが達成できたらもう最高です」と目を輝かせる子
- 「んー、、、まだわかんないですね」とまだ納得のいく未来を模索している子
理想の未来は一つではないことがありますし、時間が経てば変わることもありますので、また別の理想の未来を描いてもらったり、時間を置いて再びやってもらったりもします。そうやって、組み立てたり、崩したり、組み立てたり、を繰り返して細かく作りこんでいくのです。
- 自分がどんな未来を望んでいるのか
- 何を手にしたいと願っているのか
案外なかなか気付かないものです。自分がどんな未来に進みたいかが分かると、自分が何をすればよいかが分かるので、行動を起こしやすいものです。
そして、自分が「これに向かって生きている」というものが見付かったとき、それはもうその人の「生きる意味」になっているのですね。
それは自分なりの北極星を見つけるようなことです。
たとえ道に迷ったとしても、北極星が見えていれば進みたい方向が分かります。
価値観の喪失から価値観の発見のために
「何のために生きればよいのか」と分からなくなって足を止めてしまう子どももいます。
もしお子さんが「さなぎ」になったのであれば、「蝶」になるのを支えましょう。そして、道に迷ってもどこに向かっていけばよいかを教えてくれる、自分の「北極星」を見つけられるよう、応援しましょう。
他者との優劣とは違った価値観を持てるよう、色んな価値観に触れさせてあげましょう。
※不登校になった責任追求よりもっと大切なこと④~不登校は心の大工事~
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