不登校になった責任追及よりももっと大切なこと②~アイデンティティと不登校~
こんにちは。不登校支援センターです。
こちらは過去記事となります。皆様の日々のかかわりのご参考になれば幸いです。
前回の不登校になった責任追求よりもっと大切なこと①〜自律心と不登校〜に引き続き、「不登校の意味」について考えていきたいと思います。前回は「自律性」の側面から考えていきましたが、今回は別の視点から考えていきますね。
時には復学の決断を妨げる「他者からの評価」
学校に行かない子どもの中には「他の人が自分をどう思うか?」という他者からの評価を気にする子どもが非常に多くいます。
- 久しぶりに学校に行ったとき、皆から何と言われるかを気にする子
- テストで悪い成績をとりたくない、悪い成績をとるくらいなら最初からテストを受けない子
- 他の人と自分の成績を比べて気にしすぎる子
- 他の子からのからかい、冷やかしに耐えられない子
- 自分がいい評価をされる場面にしか出向かない子
- 家の外では、他者の自分への視線が気になって不安になる子
- 自分と話していても、相手がつまらないと感じているんじゃないかと不安になる子
- 自分の考えに自信が持てずに発言をためらう子
- 相手がどう感じるか気にしすぎて、話すこと自体に不安を感じる子
- 相手の気を悪くしないように本音を言えずに我慢し続けている子
- 相手から悪く思われないように「いい人」を演じて取り繕って疲弊する子
- 相手から好かれようと優しくしてるのに、評価されずに不満をためている子
- 周囲の人に合わせすぎて、本来の自分でいられない子
色んなパターンがありますが、「相手から悪く思われたくない」という気持ちが強いお子さんが多いです。これは中・高・大学生によくある傾向です。「相手から悪く思われるんじゃないか」という不安が制御できないほど顕著になると、他者との密接な関わりを避けがちになり、人が多い場所を避けがちになります。
復学の決断を妨げるものも「他者からの評価」であることが多いです。仮に「周囲からなんと思われようと構わない」と本心から思えていたのなら、久しぶりに教室に入ったって、教室で失敗したって、恥をかいたって平気です。しかし実際には、他の生徒からの視線が気になり、視線を避けたがるお子さん、人がたくさん居る場面に行くと体調が悪くなるお子さんなどなど、本人にやる気があっても、どうも抗しがたいことがあります。なぜ、子どもは「他者からの評価」に囚われてしまうのでしょうか?
乗り越えるべき心理的な課題アイデンティティの確立
中・高・大学生、つまり青年期のお子さんの乗り越えるべき心理的な課題として「アイデンティティの確立」があります。
アイデンティティという言葉をなんとなく聞かれたことのある方は多いかと思いますが、アイデンティティとは一言で表すと「自分とは何者か?」に対する答えです。
- 「自分は自分だ!」という感覚
- 「自分のやるべきこと、やりたいことがはっきりしている!」という感覚
- 「周りの人は自分を理解してくれるだろう!」という感覚
- 「社会の中で自分らしくやれそう!」という感覚
これらの感覚を総合して「自分が自分である」と思える、アイデンティティを確立できるのですね。人の心が正常に発達していくと、青年期にはそういった「アイデンティティを確立する」という課題と直面することになります。「自分はどういう人間か」「何をやりたいのか」その答えを探し始めるのですね。ただし、アイデンティティはすんなり確立するわけではなく、
- 「自分が本当の自分でない感じがする」
- 「自分が何をしたいのかわからない」
- 「周りの人は本当の自分をわかっていない」
- 「自分の本当の力を社会で活かせられそうにない」
といったアイデンティティの拡散と呼ばれる状態に陥ることがあります。
自己嫌悪、無気力、消極的であり、対人関係で不安を抱きやすく、また職業選択を先延ばししがちになります。アイデンティティを確立しようと思い悩む経験は、必要な経験であり、悪いことではありません。むしろ、危機的状況を乗り越えずに確立されたアイデンティティは脆いといえます。
自分で思い悩んだ末、「自分はこういう人間だ!」という確信を持ち、「こう生きよう!」と決断することで、アイデンティティを確立することが可能となるのですね。
アイデンティティ確立のため他者からの評価を参考にする
ここで考えてみていただきたいことがあります。人が「自分がどういう存在なのか?」という問いの答えをつくろうとするとき、どうやってつくるものだと思いますか?
色んな経験を通じて感じて考えて、友人と自分を比較したり、恋愛したり・・・。自ら行動し、試行錯誤する中でつくられていきますが、他者からの評価を参考にする、というところがあります。鏡がなければ人は自分の姿を見ることは出来ませんから、他者を鏡にして自分を見るのですね。
つまり「自分がどんな人か?」という問いへの答えを強く求めているときほど、他者からの評価に過敏になることがある、ということです。
アイデンティティと不登校を考える
不登校の背後に他者からの評価への囚われがあるのなら、さらにその背後にはアイデンティティの確立という課題が隠されているのではないか、と考えてみる価値は十分にあります。青年期のお子さんであれば、直面していてもおかしくない課題ですからね。仮にそうなのだとしたら、なおさら「他人の目なんて気にしなければいいじゃない」の一言では済まされません。当人は「自分がどんな人なのか知りたい」のですから。
その状態であればこそ、「あなたってこういう人かもしれないね」「あなたってこういう可能性を持ってるかもね」と子どもの存在を温かく映し出す、鏡としての役割を担う大人が必要だと私は常々感じています。もしお子さんに他者からの評価を気にする傾向があるのだとしたら、今は「自分というもの」をつくり上げようとしているのかもしれない、と一度疑ってみてください。そういう成長のステージに上がってきたのかもしれない、と。
他者から良い評価をもらうことが人生の目的になること
ただし、他者からの評価に囚われた人生は非常に窮屈でしょう。他者より優れていなければ評価されないので、競争の中に身を置かねばなりません。努力しても、評価されるかどうかは相手次第であり、報われないかもしれません。青い鳥が飛んでくるのをずっと待つようなことなのかもしれません。
状況や状態によっては、私はセンターに来るお子さんと人生観や生きる目的について話をすることがあります。自分が人生で大事にしたいこと、価値を感じるもの、楽しいと感じることなどなど。その中で、他者から評価されることが、自分の人生にとって優先順位の高いことなのか、考えてみてもらうこともあります。
それでもなお、他者から評価される人間になりたいのであれば、他者から評価されるために工夫したり努力するのもいいでしょう。それとは他に「自分はこれのために生きたいんだ!」と自分なりの価値観を見出し、人生の目的、方向性を定めてみることも、一つの抜け道です。
子どもがアイデンティティの建設工事を進められるよう、
- 自分がどんな人なのかを振り返る
- 興味や好きなことから、自分が人生に求めていることを考えてみる
- やってみようかなと思っていることに取り組んでみる
そういった材料探しの機会をどんどん設けてみましょう。親御さんのふとした一言が、子どもを勇気づけることがあるかもしれません。
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