「私がこう思っているのに同意しないのはおかしい」と思っていませんか?
こんにちは。不登校支援センター仙台支部の上原です。
先日とある有名な障害者の方が【感動ポルノをやめよう】という趣旨の発言をしました。この「感動ポルノをやめよう」とは、障害者の人権アクティヴィストであるステラ・ヤングが、オーストラリア放送協会のウェブマガジン『Ramp Up』で初めて用いた言葉です。日本でも近年も「感動ポルノ」という言葉を耳にする機会が増えてきたように思います。
私はいいと思った。あなたは嫌だと思った。
日本の「感動」で代表的な番組といえば、「24時間テレビ 愛は地球を救う」があると思います。番組を見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。その番組に対して「感動を押し付けるな」とか「障がい者を見世物にするな」というような意見が、ネットが広まってから目にする機会が増えた気がします。事実かどうかは確認したことがないので分かりませんが、ネットでは以下のようなものがありました。
- チャリティー番組で募金を募っておいて、出演者はギャラをもらっている。
- 障がい者の苦労を殊更に強調していて不愉快。
- 子どもをショーの見世物に使い強制的に挑戦させているetc…
私個人としては、24時間TVを楽しんでみています。感動した企画も沢山ありましたし、いい話だと感じることもありました。不愉快な部分がなかったとは言いませんが、「こういった番組で感動するなんてどうかしている」という反応がSNS等であったことも事実です。
個人の感想なので共感する人も反発する人もいるでしょう。
ネットを見ていて、私が嫌だなと感じるのは「自分の感性を押し付ける人」でした。
- 私は良いと思った。
- あなたは嫌だと思った。
それが同じである必要はないですよね。しかし「私がこう思っているのに同意しないのはおかしい」という考え方をする人もいます。
今の状態を受け入れることが、前に進むために必要なこと
レッテル貼りはいけない、という考え方があります。障がい者、病人、けが人、不登校もそうですが、いわゆる普通から少しそれた人に対して一括りにレッテルは貼って差別することが、良くないことだという考え方です。区別と差別を一緒くたに考えている場合もあります。
区別しなければ保障や手助けは出来ません。例えば障がい者手帳などがそうですね。障がい者として認定を受けるからこそ、補助金だったり各種制度を利用することが出来ます。普通の人と障がい者を区別しているから出来ることです。しかし利益があれば区別で、不利益があれば差別なのでしょうか。・・・そういうことでもないと感じます。
不登校もそうですが、今の状態というのを正しく受け入れるというのは大切なことです。
- 出来ないことを「今は」出来ないとしっかり認識する。
- そのうえで「これからどうするか」を考える。
- それが前に進む上で必要なことです。
自分自身で考える、ということ
そして一番大事なことは、「自分自身で考える」ということです。事実を自分の目で確認できていないなら尚更、周りが勝手に想像して良い悪いをまき散らすことではないですよね。TVもネットも噂話も同じです。情報を出す側には、受ける側に「こう感じてほしい」という意図があります。それを「洗脳」と捉えるか「そういう考え方もあるね」と捉えるか。見たものを鵜呑みにしないほうがいいのは間違いないですが、今はうがった見方をすることが称賛されすぎているとも感じます。見たものを素直に感動する、とか。楽しいと思ったことを素直に楽しいと感じる、とか。そんな当たり前のことがやりずらい世の中になってしまっています。人は人、自分は自分、ということがやりにくいですね。一つの発言をたくさんの人に見られて、曲解されたりすることもあります。
私は自分がいいな、と感じることを素直にいいと感じていたいと思います。裏側を色々想像して、わざと暗いところを見つけようとする活動には意義を見出せないですよね。
悪いところ探しではなく、良いところ探しを
物事は悪い部分をみようと思えば、いくらでも悪いところが出てきます。怖いのは、それが習慣化してしまうことです。それに慣れてしまうと、嫌な部分ばかりが目に付くようになって、自分自身が苦しい、生きづらい感覚になってしまいます。
子ども達の中にもクラスメイトの視線に過敏に反応する子がいますが、悪い想像を働かせすぎてしまっていることが多いです。自分で自分を動き難くして、動けないことで余計に苦しんでしまい、悪循環の中に自分を置いてしまいます。
人間は良いところを見ようと継続していると、良いところが目に付くようになります。悪いところを見ようとしていれば、悪いところが目に付くようになります。これは自分が求めている情報に、反応しやくする機能です。自分が必要だと思っていることに気付きやすくなる。それは生きる上で効率的な行動をする為の機能ともいえます。けれどその機能が望まない方向に発達してしまうと、悲しいですね。見たら損をするようなことに、わざわざ目が向くように、自分で自分を縛ってしまっていることになります。そうなったとき、苦しい思いをするのは自分自身です。
最後に・・・
習慣というのは変えられます。意図して行動することで、考え方を変えることが出来ます。悪いところ探しではなく、良いところ探しをしていきたいですね。
関連ワード: 不登校支援センター仙台支部 , 今の状態を受け入れる , 前に進むために , 区別 , 差別 , 感動の押し付け , 感動ポルノ , 自分 , 自分自身で考える