夏休み明けから学校に行って欲しい!『長期休みだからこそ考える不登校の心の表現とは?』
皆さん、こんにちは。
不登校支援センター福岡支部の永島です。
今回は自分の『心・感情』を伝えることについてお話ししたいと思います。
映画を観たあとなど、観た人たち同士で感想を話しあったりしますよね。
「あのシーンかっこ良かった~!」
「○○が旅立つシーンとか泣きそうになったよ。」
「最後の終わり方とかすっごいスッキリしていて、爽快感があったよね。」
「あの役者さんの○○のシーンでの表情とか、グッときたよね~」
など、映画のシーンやシナリオ、役者についての感想を話すことが多いと思います。
では、
なぜそれをカッコ良いと思ったのか?
なぜそれで泣きそうになったのか?
なぜそれでグッときたのか?(というか、グッと来るって何だろう・・・・)
を説明できる人はどのくらいいますでしょうか?
これっていろんな言葉や知識がある大人でも難しいことです。
まだ言葉や知識が成熟していない子どもであれば、なおさらのことです。
私の長男が3歳のときだったのですが、
ある日「苦しい。苦しい。」言いながらずっと泣いていることがありました。
言葉では「苦しい」と発していますが、何が起こっているのか全くわからないのです。
「おなか痛いの?」
「頭痛いの?」
「ここが痛いの?」
「どこか痛いの?」
どんな質問をしても「苦しい。」としか返ってきません。
まだ3歳なので、「苦しい」という言葉が適切なのかも怪しいですし、
内臓の部位や筋肉の名称などもわかるわけも無く、自分の状態を言葉で説明することができなかったのでしょう。
そしてその表現の手段が、「苦しい」と言いながら泣くということになってしまっていました。
子どものこんな状態を目の前にして怒る人はどれだけいるのでしょうか?
私はどうにもできない不安もあり、「できることならこの苦しみを代わってあげたい」とさえ思っていました。
学校に行かないという行動をとっているのも、同じようなことが言えます。
自分の中の何が原因かもわからない負の感情を説明できず、それを表現する手段が「学校に行かない」だったりすることも多くあります。
これが「苦しい」と言いながら泣いていれば親御さんたちも怒るよりも心配するのでしょうけど、
日々成長している子どもは”「苦しい」と言って泣くという行動は表現として違う”ことは意識できていることもあります。
小学生になり、会話が普通にできるようになると思い込むことは誰にでもあると思います。
ただ、目に見えないものの表現はとても難しいものです。
お互いが同じ言葉を使っていても、その意図するものは異なったりします。
まずはその違いを知っていくことからコミュニケーションを図っていきましょう。
そして、必ず気をつけてもらいたいことが『わかった気にならない』ということです。
これは私たちカウンセラーも常に意識していることです。
わかった気になってしまうと、その意図から外れたときに待っているのは、混乱や憤りです。
根気強く、子どもの気持ちを理解するように努めるコミュニケーションが大切です。
『9月の夏休み明けから学校に行って欲しい!〜不登校解決のきっかけを掴む為に夏休みに必要な準備とは〜』