不登校の子どもから見た“家の人”“学校の人”【不登校支援の役割分担】
こんにちは。
不登校支援センターの上原です。
カウンセラーブログをお読みになられているご家族の皆様は、
お子さんを学校に行かせたいという想いから、様々な方法を試行錯誤されていることと思います。
- 条件を設定する。(別室、保健室、校門タッチ)
- モノやお金をプレゼントする。
- 気持ちを盛り上げようとする。
- 指導する。
- 説得する。
- 学校行かずに熱中しているものを取り上げてみる。
- 似たような境遇の子たちの集まりに参加させてみる。
など、
子どもの反応が良かったもの、悪かったものなどそれぞれにあることと思います。
ただ、よく耳にするのは登校したところで
期間限定や一過性のことで終わってしまったり、数年後の再発してしまうということです。
「どうしてこんなにやっても動かないの!?」「なんでまた繰り返すの!?」
学校に行かずに家にいる子どもを目の前にして“一番子供と時間を過ごしてきて、小さいころも知っているのは自分なのに!!”とヤキモキすることと思います。
ご安心ください。
いくら自分の思い通りに子どもが動かなくなっても
目の前の子どもを一番知っているのは親御さんであることには変わりませんし、これからも、きってもきれない家族として共に時間を過ごすのは親御さんです。
実は、学校登校について親御さんが直接的に動いても、思うとおりに子どもが動かない形は、子どもからの視点としてはごくごく自然に起こりうるケースなのです。
それは
『親から子への「学校いきなさい」は、学校の先生から子供への「家でのゲームは1時間にしなさい」と同じこと』
つまり、子どもから見ると親御さんはあくまで“家の人”
家の人からいくら「学校へいきなさい」と様々な形で伝えたとしても、子どもの視点からは「お父さんお母さんは学校にいかせたいんだなあ~」と捉えるだけ。
学校がいかなければならない場所であったり、必要なことというのはあまり伝わりません。
「学校は親のためにいくところ」として不登校再発なく学校登校できるのであれば、すでにこれだけ親御さんが子どもを学校に行かせたい想いをお持ちのため、今でも行けていることでしょう。
それは、先生からいくら家での生活指導を受けたとしても子どもは動かないことと同様です。
夏休みなど長期休暇の過ごし方などがひとつの例です。
子どもの視点からすると先生はあくまで“学校の人”。
学校の人から家のなかでの生活をいくら言われたところで効力は無に近いはずです。
そのときのタイミングにおいて必要であり、適切で有効な学校登校に関するアプローチを共に検討していきませんか?